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課題集 ユーカリ の山

★フィンランドの(感)/ 池新
 【1】フィンランドの保健担当機関がある調査を実施したという話を読んだ。食事の指導や健康管理の効果がどのようなものであるかを科学的に調べるためだったという。その結果が、実に興味深い。
 【2】四十歳から四十五歳までの人々を六百人選んで、Aグループとした。この人たちには、定期検診や栄養学的な調査などを受けてもらう。また、運動を毎日すること、タバコ、アルコール、砂糖などの摂取を抑えることを約束してもらう。【3】そして、そういう健康管理を十五年間続けた。ずいぶん息の長い調査である。この効果の比較のため、別の同一条件の人たちで構成される六百人のBグループを選んだ。この人たちには、いかなる健康管理も実施しなかった。
 【4】十五年たって、AグループとBグループを比較すると、はっきりした違いが現れた。一方のグループでは、病気になった人の数が少なかった。それが健康管理の対象とならなかったBグループだったというのである。【5】驚いた医師たち、保健担当機関の人たちが、なぜそのような事態が起きたのかという点について、さらにその原因に迫る調査、研究を行った。その結果は、治療上の過保護と管理が依存や抵抗力の低下をもたらすという結論だった。【6】この調査結果は、まことに意味深長である。私たちの生き方全般についても、大いに考えさせるものを突きつけているように私には思える。
 【7】自然界にいる動物は、医者が診てはくれないから、自分で自分の体に気をつけて暮らさなければならない。いま、自分の体は食べ物を求めているか、水を必要としているかといったことについて、自分の本能が内部でささやいている声を聞きとっているのだ。【8】ところが、そういう本能を聞き分ける感度が、私たちの場合、一般に、恐ろしく鈍ってしまっている。Bグループの人々は、そういう鈍っていた感覚を呼び起こし、磨き始めたのではなかったろうか。
 【9】フィンランドのこの調査結果は、そのまま子どもたちの育て方や教育のあり方にも通じる話である。過保護が依存を生む。そして、自律が自立につながるのだ。最近の子どもは、動物として活動する場や機会が少ないので、かわいそうだと思うことがある。【0】∵本来、子どもは動物の子どもと同じで、成長するに従い、さまざまな状況にぶつかり、自分の本能と相談しながら行動の仕方を選択することを覚えてゆく。そういう場がめっきり減ってしまった。「子どもというものはみんな、ある程度まで、世界をふたたび始めから生きる」と書いたのは、米国の思想家、へンリー・ソローである。
 大人に知られぬように穴などを探してもぐり込んだ体験はだれにでもあるだろう。ただおもしろい、秘密の行動にわくわくするということだけではあるまい。穴居の時代の記憶からではなかろうか。石を大事に引き出しにしまったり、石けりなどに興じたりしたのは石器時代の名残かもしれぬ。木登り、昆虫採集、魚釣り、畑仕事、家畜の世話、その他すべてが太古からの人間の営みの延長であり、狩猟や漁労や農耕や牧畜の復習だったのではないだろうか。子どもは、手や頭を使い、さらにさまざまな道具を作って使う、こういった遊びや手伝いをするなかで、人類の歴史的発展をもう一度たどっているような気がする。
 子ども一人ひとりが動物としての感覚を持ち続け、磨きながら成長するために、そういうことをたっぷりと行うことが必要である。これを私は「人類全課程」と呼んでいるが、最近の子どもがこれを学習するのは、至難のようだ。日本が貧しかったころに育った世代は、それこそ石器時代から全課程をやってきた。いまの子どもは、生まれるとすぐ、電子機器、自動車、飽食の二十世紀に一足飛びなのである。火のおこし方も、あいさつの仕方も知らずに育つようなことになる。動物だって、それぞれ独特な方法であいさつするというのに。

 (白井健策「天声人語の七年」の文章による。福井県)