昨日582 今日397 合計160222
課題集 ビワ3 の山

○自由な題名 / 池新


○「学ンデ時ニ之(コレ)ヲ習フ」 / 池新
 「学ンデ時ニこれヲ習フ」という習の字は、鳥が羽ばたいて飛翔を練習する形を現したものであるということである。私は人間の能力がこの練習ということによって高められ、不可能が可能にされていくことに興味を感じている。人類進歩の道程上において、今日まで無数の不可能が可能にされてきたが、それは一方では発明によってなされ、他方では練習によってなされた。空を飛ぶこと、水をくぐることは、人類あって以来の願いであったろうが、この宿題は、発明によって解決された。他方、無数の事例において、人間は練習錬磨によって、不可能を可能にしてきたし、また現にしつつある。
 寺田寅彦の随筆に、米粒に千字文を書く人の話があったのを記憶する。それによると、はじめ米粒を指頭にのせて毎日ただながめている。すると、それがだんだん大きく見え、しまいには鳩の卵ぐらいに見えてくるという。そのときにいたって、特殊の細い筆で書けば千字書けるというのである。また、天体の観測者が、非常な速さをもって望遠鏡面を飛過する天体を目でとらえるのは容易ではないが、それが練習によって、やがてゆっくり見て、カードに記載することもできるようになる、というような話であった。
 われわれはこれに類する錬磨の実例をいたるところで見るが、手近なところで、運動競技の名手の技術には、しばしば驚かされる。先年招かれて学生の剣道道場に行くと、わざわざ模範試合をさせて見せてくれた。選ばれたのは、三段中の精鋭ふたりということであったが、うち合うこと数合、いかなるわざか、一方の者は竹刀をまき落とされた、瞬間飛びすさった赤手の剣士は、竹刀を振りかぶった相手と相対した。かけ声とともにうちおろす。どうひきはずしたか、次の瞬間、ふたりは竹刀を捨てて組み合っていた。三段中の手ききといわれた相手の太刀の下を、どうくぐったか、文字どおり目にもとまらぬ早わざであった。そのとき考えたが、かりにわれわれがどんな名刀を振り回したところで、この赤手の若者をきることはできないのである。剣道では昔から、一眼、二足、等ととなえて、目の錬磨をやかましくいったものときくが、目前にその実演を見て驚いた。∵
 しかし、これは剣道には限らない。われわれは見慣れてなんとも思わないが、野球の打者が飛んでくる速球を打つのでも、実は驚くべきことである。いわんやとっさに曲がるカーブを、誤りなく打つ等にいたっては、常人から見れば、人間以上のわざともいえるのである。試みに全く野球の心得のない人の前に静かにゴロをころがしてつかませてみるとわかる。たいていの人は、両手で、球の通過したあとの空気をつかむのが常である。もしこれを常人というのなら、打者のうしろにいて、振り回したバットに触れたファールチップを平気でつかむ捕手のごときは、超人というべきである。
 柔道の心得のあるものは、倒れても頭を打たぬ。水泳の心得のあるものは、水に落ちれば、自然に適当に手足を動かして、沈まない。いったい、立ち泳ぎのまき足のごときは、いっけん不自然な足の動かし方をするのであるが、練習したものは、なんの苦もなく、無意識のうちにそれをする。およそ水に落とせば必ずおぼれて死ぬ人に比較すれば、落ちても沈まない人間は、別種の動物といってもさしつかえないほど、すぐれたものであるわけだが、人は練習によってそれになることができる。

(小泉信三「平生の心がけ」)

○■ / 池新