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課題集 ヤマブキ3 の山

★旧校舎のあとには/ 池新
 旧校舎のあとには、ながいこと、土台石がそのままに残されていて、その白ちゃけた膚を、雑草の中からのぞかせていた。次郎はそれを見ると、泣きたいような懐かしさを覚えた。彼は、学校の帰りなどに、仲間たちの目を忍んでは、よく一人でそこに出かけて行った。
 ある日彼が、例のとおり、土台石の一つに腰をおろして、お鶴から来た年賀状を雑のうから取り出し、じっとそれに見入っていると、いつの間にか、仲間たちが彼の背後に忍びよって来た。
「次郎ちゃん、何してんだい。」
 次郎は、だしぬけに声をかけられて、どぎまぎした。そして、なにか悪いものでも隠すように急いで絵葉書を雑のうの中に押しこみながら、彼らのほうにふり向いた。
「ほんとに何してんだい。」
 仲間の一人が、いやにまじめな顔をして、もう一度たずねた。
「この石が動かせるかい。」
 次郎はまごつきながらも、とっさにそんな照れかくしを言うことができた。そして、言ってしまうと、不思議に彼のいつものおうちゃくさがよみがえってきた。
「何だい、こんな石ぐらい。」
 仲間の一人がそう言って、すぐ石に手をかけた。石は、しかし、容易に動かなかった。するとみんながいっしょになって、えいえいと声をかけながら、それをゆすぶり始めた。間もなく、石の周囲にわずかばかりのすき間ができて、もつれた絹糸を水にひたしてたたきつけたような草の根が、まっ白に光って見えだした。
 次郎は、大事なものを壊されるような気がして、いらいらしながら、それを見ていたが、
「ばか! みんなでやるんなら、動くの、あたりまえだい。」
と、いきなり彼らをどなりつけた。
「なあんだい、一人でやるんかい。」
 みんなは手を放した。
「あたりまえだい。僕だって一人でやってみたんだい。」
「何くそっ。」
 最初に石に手をかけた仲間が、また一人でゆすぶり始めた。が、∵一人ではどうしても動かなかった。
「よせやい。動くもんか。」
 次郎はそう言って雑のうを肩にかけると、さっさと一人で帰りかけた。
「ばかにしてらあ。」
 仲間たちは、不平そうな顔をして、しばらくそこに立っていたが、次郎がふり向いても見ないので、彼らもしかたなしに、ぞろぞろと動きだした。
 だが、土台石も、夏が近まるとすっかり取り払われて、敷地は間もなく水田に変わった。そして今では、どこいらに校舎があったのかさえ、見当がつかなくなってしまっている。

(下村湖人「次郎物語」)