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課題集 ヤマブキ3 の山

○自由な題名 / 池新
○本 / 池新

★私がエベレストを初めて見たのは / 池新
 私がエベレストを初めて見たのは、ちょうど一年前、十二月二十九日であった。ネパールの首都カトマンズから飛行機で飛んできたシャンボチェの部落から少し歩いて、イムジャ・コーラの谷の奥への展望が開けたとたんに、エベレストが見えた。世界の最高峰こうほうというのは、やはり見るだけでも感動的なものである。その頂からは、東の方へちぎれ雲がのびている。ジェット・ストリームが山にぶつかってできる大気の波動が作る雲である。
 そんな雲を眺めながら、私は、エベレストの高さは何で決まるかと考えたことを、思い出した。
 最近、中国の登山隊が、頂上に反射鏡を置いて高さを再測したと伝えられるので、あるいは少し変わるかもしれないが、エベレストの高さは、今のところ、八、八四八メートルとされている。あるとき、私は、この高さが圏界面の高さに近いことに、あらためて気づいた。圏界面とは、地面近くにある対流圏と、その上にある成層圏との境めで、地上から昇った空気は、ここでいちおう止められる。いわば、大気の天井である。その高さは、熱帯で高く、極で低く、季節によって変わる。エベレストのあたりでは、冬に約一万メートルの高さにある。最近のジャンボ・ジェットが飛ぶ高さである。
 エベレストの高さ約九千メートル、圏界面の高さ約一万メートル、ざっと似た値である。だが、この二つを結びつけて考えた話は聞いたことがない。偶然の一致とかたづけることもできるが、いったん二つを結びつけると、私には、それが比例関係をもつように思えてきた。
 例えば、こんな説明である。さきに書いたように、圏界面は地上からの空気が昇るいちおうの限界で、水蒸気が豊富なのも、ここまでである。だから、私が見た、エベレストから風下へのびる雲は、いわば、雲の上限に近いものである。圏界面の上では、水蒸気が少なくなり、雲もないといってよい。そこで、エベレストに限らず、ヒマラヤの高峰こうほうの頂上に降り注ぐのは、雲にさえぎられることのない「裸の太陽光線である。岩肌は、それで暖められる。だが、夜になると、岩の放射冷却をさえぎる雲も、まだ、ない。だから∵岩肌は急速に冷やされる。
 こうして、昼と夜とで、加熱と冷却が激しく繰り返されると、岩石の風化が進行する。岩肌についた雪は、昼には溶けて割れめにしみ込み、この水が夜には凍ってふくらみ、割れめを拡大する。この作用は低地でも働くが、圏界面の近くでは、特に激しい可能性がある。
 そこで、造山運動によって、じわじわと盛り上がってきたヒマラヤの高峰こうほうは、この圏界面付近の激しい風化作用で削られる。だから、エベレストは圏界面よりやや低く、八、八四八メートルなのではないか、もし圏界面がもっと高かったら、それに応じてエベレストも今よりずっと高いかもしれない。
 これが私の推論である。アイデアとして地球科学を専攻している友人に話すと、おもしろがられる。山の高さの上限について考えた人は、あまりいないらしい。

樋口敬二ひぐちけいじ「エベレストはなぜ八、八四八メートルか」)

○■ / 池新