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課題集 ヤマブキ の山

★「科学における発想と論理」(感)/ 池新
 【1】「科学における発想と論理」という話になると、いつも昔やったハバチの研究のことを思い出す。もう三十年ほど前のことだが、マツノキハバチ(松の黄葉蜂)というハバチに興味をもった。
 欧州の研究者によると、このハバチは年によって大発生したり、ごくわずかな個体数しか現れなかったりする。【2】冬があまり寒くないと、冬眠(休眠)している幼虫の多くが休眠からさめられず、親になれないままもう一年冬を越してしまう。年々、休眠幼虫がたまっていき、たまたま冬が寒かった年にそれが全部まとまって親バチになって大発生するからだというのである。
 【3】日本にも同じ種とされているマツノキハバチが、高山のハイマツ帯にいるという。そこで中央アルプスに登り、高度二千五百メートル付近に生えているハイマツにいる幼虫をつかまえて来て、大学の研究室で飼育を始めた。【4】飼育温度は、普通、昆虫の実験で常識的に用いられる摂氏二十五度とした。幼虫たちはハイマツの葉をもりもり食べて、元気そうだった。
 ところがである。二日目には半分近くの幼虫が死に、三日目には大半が、四日目には生き残っているものはいなくなっていた。【5】こうしてこの年の実験はあえなく終わりになった。
 その翌年、また挑戦した。二十五度は少し高すぎたかと思ったので、十六度の「区」も設定した。けれど結果は前年と同じだった。十六度区は全滅が一日延びただけだった。
 【6】そこで死んだ幼虫をもって昆虫病理学の先生を訪れた。「病気ではありませんね。単なる生理死です」。単なる生理死!
 いったいどういうことだ? 三年目は、また殺すために虫を採りに行くのかとアルプスへ出かけるのは気が重かった。
 【7】出発のとき、ふとある発想がひらめいた。大学前のバス停に学生を待たせて、研究室にとって返した。そして、旧式の自記温度計(そのころはそのタイプのものしかなかった)をぶら下げて、バス停に戻った。
 「そんなもの、どうするのですか」と、学生がいぶかしげに尋ねる。【8】「まあ、いずれわかるよ」。そう答えてアルプスに向かった。
 ふと思いついたのは、「飼育温度は一定ではなく、高温・低温と振れなくてはいけないのではないか」ということであった。高山で∵は昼間は日がさして暑いくらいだが、夜から明け方には猛烈に寒くなる。【9】高山のハバチはそういうところにすんでいるのだから、激しい温度の振れに耐えられるのみでなく、そのような振れを必要としているかもしれない、ということに気づいたのだ。
 山から帰って来て、早速、昼は二十五度、夜はただの五度という条件で飼育を始めた。【0】予想は的中した。幼虫たちはすくすく育ち、ほとんど死ぬことなく、繭をつくった。
 さて、この結果を学会で発表する段になると、ある配慮が必要になった。二十五度一定、あるいは十六度一定という条件では全部死にました。そこまではよい。「それで、ふと思いつきまして……」とは絶対に言えない。
 どうしたかというと、「そこでこの虫の生息している場所の気温を測定してみました」といって、自記温度計で記録したデータを見せる。そして、「これをシミュレートした温度条件を設定して飼育したところ、幼虫はみごとに成長して、成虫(親バチ)になりました。このハバチの幼虫の成長には、一日のうちに高温・低温が交代する温度周期が必要なように思われます」と結んだのである。
 こうして、ふと思いついた発想には一言も触れず、データに基づいた「論理的」推理を展開する形をとることによって、この研究も私自身も、「科学的」な体面を保つことになった。
 これが、今までの科学と、科学教育の落とし穴である。幸いにして近ごろは、多くの人がこのことに気づき始めた。しかし、コンピューターによるデータの処理・解析が普通となった今、振り子はまた以前の状態に戻る可能性がある。といって、発想法の処方せんなど存在するはずはない。今大切なのは、科学も技術も、普通思われているのとは異なって、ずっと人間的なものなのだということを、深刻に意識することである。
(日高敏隆「日本経済新聞」より)
 
 シミュレート…実験と同じように再現すること。