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課題集 プラタナス3 の山

○自由な題名 / 池新
◎草 / 池新

★レンブラントのそうした作品の中から / 池新
 レンブラントのそうした作品の中から、有名な傑作ではあるが、ぼくはここにやはり、『ユダヤの花嫁』を選んでみたい。彼の死に先立つ三年前に描かれたこの作品のモデルは、息子のティトゥスとその新婦ともいわれ、また、ユダヤの詩人バリオスとその新婦ともいわれている。さらに、旧約聖書の人物であるイサクとリベカ、あるいはヤコブとラケルをイメージしたものだともいわれている。しかし、そうした予備知識はなくてもいい。茶色がかって暗く寂しい公園のようなところを背景にして、新郎はくすんだ金色の、新婦は少しさめた緋色の、それぞれいくらか東方的で古めかしい衣裳をまとっているが、いかにもレンブラント風なこの色調は、人間の本質についての瞑想にふさわしいものである。そうした色調の雰囲気の中で、いわば、筆触の一つ一つの裏がわに潜んでいる特殊で個人的な感慨が、おおらかな全体的調和をかもしだし、素晴らしい普遍性にまで高まって行くようだ。この絵画における永遠の現在の感慨の中には、見知らぬ古代におけるそうした場合の古い情緒も、同じく見知らぬ未来におけるそうした場合の新しい情緒も、ひとしく奥深いところで溶けあっているような感じがする。こうした作品を前にするときは、人間の歩みというものについて、ふと、巨視的にならざるをえない一瞬の眩暈げんうんとでも言ったものを覚えるのである。
 ところで、この場合、問題を集中的に表現しているものとして、新郎と新婦の手の位置と形、そしてそれを彩る筆触に最も心を惹かれるのは、きわめて自然なことだろう。なぜならそれは、夫婦愛における男と女の立場のちがい、そして性質のちがいを、まことに端的に示しているように思われるからである。男の方の手は、女を外側から包むようにして、所有、保護、優しさ、誠実さなどの渾然とした静けさを現わしているし、女の方の手は、男のそうした積極性を今や無心に受け容れることによって、いわば逆の形の所有、信頼、優しさ、献身などのやはり溶け合った充実を示しているのだ。∵
 ぼくが嘆賞してやまないのは、こうした瞬間を選びとったというか、それともそこに夥しいものを凝縮したというか、いずれにせよ、狙いあやまらぬレンブラントの透徹していてしかも慈しみに溢れた眼光である。暗くさびしい現実を背景として、新しい夫婦愛の高潮し均衡する、いわばこよなく危うい姿がそこには描きだされているのである。
 ぼくは今、「危うい」と書いた。それは過酷な現実によって悲惨なものにまで転落する危険性が充分にあるというほどの意味である。その悲惨は、人間が大昔から何回となく繰返してきた不幸である。しかし、この絵画にかたどられようとしている理想的な美しさは、人間が未来にわたってさらに執拗に何回となく繰返す希望といったものだろう。

 (清岡卓行『手の変幻』)