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課題集 プラタナス3 の山

○自由な題名 / 池新
◎風 / 池新

★法律学は、非常に精緻な / 池新
 法律学は、非常に精緻な技術の学である。その取扱う内容は、「所有権」とか「契約」とか「婚姻」とか「相続」というような、われわれの日常生活に深く関係したものでありながら、これらに関する法律或いは法律学の内容は、素人にはわかりにくい概念や論理で複雑に構成されており、一言でいえば法律学は「秘伝奥伝」的な技術の性格をもっている。その結果、人がひとたびこれらの技術にる程度精通すると、普通の素人にはわからない秘伝奥伝的技術を身につけたと感じて、それらの技術を運用することに一種の職人的な快感をおぼえるようになる。はなはだ不幸なことに、多くの人々は、法律学をこのような職人的技術の体系だと思っているのではないであろうか。また法学部の学生は、そのような職人的技術をおぼえなければならないことに絶望しながら、学生生活を送っているのではないであろうか。
 多くの学生が法律学に対して興味をもつことができないこと、また、仮りにもったとしても、このような誤った興味しかもつことができないということのもっとも大きな理由は、おそらく、「法律学とはどのような学問であるか」ということが、はっきりわからないことに因るであろうと思われる。法律学は、一般の他の科学に比べて非常にちがっている。少なくとも、ちがっているように見える。法律学の講義でもいろいろな「理論」が教えられる。しかし、その理論は物理学や化学等の理論とはちがっている。自然科学においては、否、他の社会科学においても、る理論が正しいかどうかということは、実験や観察によって――要するに、われわれの経験的事実によって――決せられるのであって、る人々がそれを欲するかどうかによっては影響されないはずであり、それが「科学」の特殊性である(教会が欲しなくても、やはり地球は太陽のまわりをまわる!)。(略)
 要するに、科学としての法律学が発言しうるのは、どの価値体系を選択すべきかではなくて、つぎのことについてである。すなわち、る法的価値判断はどのような社会的価値に奉仕し、またその社会的価値はどの価値体系にとってどのような地位にあるのか(価値判断と価値との関係、価値と価値体系との関係)、またどの価値体系はどのような利害関係を反映するのか(価値体系の社会的=経済的=政治的基礎)、社会の発展法則にもとづいてどの価値体系が∵将来支配的のものとなるであろうか、等がそれである。なぜかと言うと、これらの問題に対する答えは、個人の信念や願望によってでなく、諸々の経験的事実によって検証しえられるものであり、そのような結論を求めることが科学の任務であるからである。そうして、このような解答によってのみ、人は現象の発見と現象の制御・支配・変革という科学の究極の目的を実現することができる。

 (川島武宜『「科学としての法律学」とその発展』より)