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課題集 プラタナス3 の山

○自由な題名 / 池新
◎石 / 池新
★人間にとっての幸福、季節感のある暮らし / 池新

○次の文章はテレビ朝日の / 池新
 次の文章はテレビ朝日の住宅リフォーム番組『大改造!! 劇的ビフォーアフター』について触れた、斎藤環「家屋は家族を幸福にするか」の一節である(設問の都合で一部省略し、表記を改めたところがある)。
 リフォームを担当する「匠」は毎回替わるのだが、ひとつ奇妙なことがある。「アフター」、すなわちリフォーム後の家屋は、毎回似通ったパターンにおさまっているように思われるのだ。中には、ほぼ定番と化したようなアイテムもいくつかある。暗かった家が明るくなったというイメージを強調するためか、採光はきまって大幅に増量され、しばしば天窓が採用される。必ずなされるのは収納の工夫であり、椅子やベッド、時には階段までもが収納スペースとしてフル活用される。狭い空間を目一杯活用するために、壁を可動式にしたり二段ベッドを採用したりと、匠の小技がもっとも発揮されるのがこの点だ。壁から飛び出すソファやベッドなど、果たして長期間の使用に耐えるのだろうかという心配はあるが。しばしば液晶テレビが配置されるのも、空間の節約のためだろう。(略)
 この番組をみていて、トルストイの有名な警句がしきりに思い出された。そう、『アンナ・カレーニナ』の冒頭にかかれた言葉、「幸福な家庭は互いに似通ったものであるが、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている」である。きわめて個性的な「不幸な家」から、ほとんど没個性と言いたくなるような「幸福な家」へ。もちろん、それぞれの「匠」たちが、限られた予算内で、持てる知識と技術を総動員して「空間の有効活用」という合理的命題を追求すれば、それが似たりよったりになっていくことは避けられない。個性追求が没個性をもたらすという、なじみ深い逆説が繰り返されているだけだ。
 それゆえ私の関心は、いったい視聴者はこの番組の「ビフォー」を見たいのか「アフター」を見たいのか、という点にこそ極まっている。もちろん善意の視聴者で、家族の幸せな顔を見るのが楽しみ、という奇特な方もいることだろう。しかし大半の視聴者は、む∵しろ「ビフォー」を、つまり、リフォーム前のはるかに個性的な不幸の姿のほうをこそ見たいのではないだろうか。そのことへの後ろめたさが、幸福な「アフター」を見ることで緩和されるという流れになってはいないだろうか。(略)
 「ビフォーアフター」において顕著なのは、なんといっても「土地への執着」であろう。番組の性格上やむを得ないこととはいえ、登場する家族がいずれも「転居」ではなく「リフォーム」を考えている点は重要である。また、それぞれの家庭に共通するのは、とにかく「モノが多い」ということだ。衣類といわず食器といわず物品がところ狭しと溢れかえり、たとえば、衣類は押入用のプラスチック製衣装ケースにとりあえず詰め込まれ、無造作に床の上に積み上げられている。彼らの不幸の原因は、モノの増殖が居住空間を蝕んでいるせいではないか、と思えてくるほどだ。リフォーム後にあれらの大量の物品がどこにどう収まったのかはいつも謎なのだが、おそらくかなりの部分は処分されているのだろう。その意味では、リフォームはモノを捨てるいい機会にもなっているはずだ。
 大量のモノが無造作に置かれるということは、家族が居住空間を「仮設的なもの」と考えているためではないだろうか。この状態が放置されているのはとりもなおさず、「いつかは整理する」「いつかリフォームする」「いつか転居する」などとして解決が先送りされてきたからだろう。おそらくはこの点において、家族と家屋の問題は重なり合うはずだ。「理想の家屋」は「家族ほんらいの姿」であり、それは常に未来形にとどまるために、現在の家庭環境、あるいは家族関係は、ことごとく仮設的でかりそめのものとみなされてしまうからだ。