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課題集 プラタナス の山

★音楽といえば(感)/ 池新
 【1】音楽といえば、それはハニホヘトイロで育った私たちの世代に最も縁遠いものの一つで、もの言う資格などなきに等しいのだが、それでも、私自身、ビートルズのことでめずらしい経験をしたことがある。【2】十数年前、ビートルズが熱狂的に迎えられはじめたころ、元来が野次馬なものだから、それではひとつと片っぱしからレコードを買いこんで鳴らしてはみたものの、音楽評論家たちの力説する良さがいっこうに理解できない。【3】それ以前にジャズやロックンロールなどに親しんでいたわけではないから、その音楽性のどこがどう革命的なのか、わかるはずもないし。【4】それがある日、ホリリッジ・ストリングスの演奏するビートルズのイージー・リスニング・ナンバーのレコードを耳にしたとたん、なんときれいな曲なんだろうと思わずうっとりした。【5】澄明にして華麗、巧緻にして清新、わが耳を疑うとはこのことかといいたい体験だった。以来、私はビートルズのひそかなファンでありつづけている。
 【6】ヴォーカル抜きのイージー・リスニングだなんて、今だと頼りなくて聞いていられないだろうけれど、少なくとも音楽音痴の私にとって、この一枚のレコードは、世界のビートルズを私自身のビートルズに変えた、奇蹟的なレコードだった。
 【7】「一瞬の閃き」による理解。それは、読書についても、もとより例外ではあり得ない。が、生まれついての天才は別として、この閃きを体験するためには、やはり相応の試行錯誤の歳月が要る。【8】さまざまなジャンルの、さまざまな作者の、さまざまな作品に当りながら、しかし、どの作品が上等で楽しく、どの作品がくだらなくて反古ほごにひとしいと、それがわかって読んでいるのか、疑ってかかる月日が要る。【9】名ある評家の推輓や、世間になんとなく流布るふしている評判を自分自身の下した評価と勘違いして読んでいるだけのことではないかと気をもんですごす時日じじつが要る。
 【0】もっとも、読書一般についていう場合、水泳や数学や音楽などと違って「一瞬の閃き」は大げさかもしれない。ある作品を読んでほかの本からはかつて受けたことのない一種新鮮な印象を得、この体験を基準として読んでいけばいいのだなと深くうなずく、そんなふうに考えたほうが実態に沿っているだろうか。が、いずれにせ∵よ、試行錯誤をくりかえすことをいとわず、疑ってかかる姿勢を失わずにいるかぎり、そういう瞬間はいつかやってくるということは十分に期待できる。もちろん、人によってその瞬間を感じることの強弱遅速はあるだろうが、それは仕方がない。人間の感受性というのはもともと不平等にできているのである。
 いったんこうした読書のコツを会得えとくした以上は、あとはもう一気呵成、読むに値する本が次から次へと見つかってきて、読書が楽しくてしようがなくなる。山本夏彦ふうにいえば、くだらない本を読んでさえ、それを罵倒するという楽しみが加わる。見かけばかりご大層で内実はいたって貧しく退屈な本を、どんな義理があるのか知らないが、無責任に天下の名著と持ちあげる評論家を嘲笑するという楽しみも。
 それだけではない、かつてやみくもに読み散らしてはくりかえした試行錯誤、これが思いがけず役に立つのである。系統発生図というか、ものの良し悪しを弁別する見取図のようなものが、読書のかなめをおさえたと知った瞬間に脳裡に成立し、今後の本の読み方についてのまたとないコンパスとなるからである。
 世間は広いから、たった一冊の本を読んだだけでチカッと閃くという人もいないとはかぎらない。が、それは、初めて本を読んですべてがわかったと思いこむ子供のようなもので、それ以前の蓄積がゼロだから、本の世界についての正負さまざまの方向をもった地図を作りあげることができず、かえってその後の読書に難渋し、モームのいう「ひまつぶし」を楽しむ機会がより少ないということもまたありうる。なにごとにもプラスとマイナスがある。こと読書に関しては、神童や天才をうらやむにはあたらない。

 (向井敏『贅沢な読書』による)