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課題集 ピラカンサ3 の山




○フランス大革命のあと / 池新
 フランス大革命のあと、政治は宗教とははっきりと独立したものとなってくる。今や国民国家からの給与によって生活するようになった大部分の科学者たちは、教会に義理立てする必要もなくなったし、異端として迫害される心配もなくなった。もちろん科学は自然についての研究であり、政治により特定の研究が禁止されるという恐れもなかった。彼らの目的はより立派な研究をするだけとなった。立派な研究をすれば、科学者としての地位と名誉が約束される。
 問題は何をもって立派というかである。どんなに面白そうなものでも、追試ができないようなものはダメである。公共性が確保できないからである。この公共性の確保ならびにそのための方法は、科学にとって極めて重要であり、それゆえにこそ、科学は世界規模の普遍装置として機能するようになるのだが、それはもう少し後の話である。
 追試ができてしかも世界初の技術でさらに膨大な富を生み出すもの。技術ということに限れば、立派とはかくのごときものをいう。しかし、制度化された科学ではそれだけではすまなくなってきたのである。それは理論が重視されるようになったからである。新しい事実の発見と並んで、新しい理論を提唱することに大きな価値が置かれるようになった。理論とは切れ切れの現象を単一の体系の下でまとめる鋭意である。従ってなるべく少ない原理でなるべく沢山の現象を説明できるほどよい理論ということになる。
 錬金術のようなオカルトが、理論と技術を結びつけようとする指向を有していたことを想い出してほしい。オカルトの嫡子としての科学もまた、技術や実験結果を、ある理論体系の下で説明したいとの強い欲求を持つ。それはある意味では、伝統的な大学の知識集団から、一段低く見られていた新興の科学者たちの劣等感の裏返しという面も持っていたろう。技術や実験結果を理論で武装することができれば、理論(知識)しかない伝統的な大学の知識層よりも優位に立つことができる。理論化をより強く指向した理学が工学よりも早く、伝統的な大学の学部として受け入れられたのはゆえなしとしないのである。∵
 さて、科学にとって、理論の公共性とは何か。それは理論から極力、個人の特殊性を抜くということに尽きる。それは主観を排し、客観を重視するということだ。科学は客観というやり方で公共性を担保したのである。現在の我々から見ると、これはごく当たり前のように見えるが、歴史的に見れば、このようなやり方で公共性を担保したのは、十九世紀の制度化された科学をもって嚆矢とする。
 宗教は集団による信憑という形でしか公共性を担保できない。文化や伝統は習慣という形でしか公共性を担保できない。政治は権力による強制か国民による信任という形でしか公共性を担保できない。ひとり科学だけが、人間の想念や願望や恐れや思い込みから自由な、客観という基準により公共性を担保したのである。
 十六、七世紀の第一の科学革命の時の研究でも、もちろん、現在の我々から見て、どの研究が客観的に正しく、どの研究が間違っているかを判断することはできる。しかし、判断基準となる客観は当時の科学者集団(本当はオカルト集団)によって前提とされていたわけではない。それに対し、十九世紀に制度化されて以後の科学者集団は、客観の重要性を前提としているのである。
 科学における客観は十七世紀のデカルトから発した、ということになっている。デカルトは心身二元論者ではなく、実は一元論者だったという説もあるが、公式的には心身二元論(物心二元論)の確立者である。物は身体も含め延長(デカルト的な意味での「延長」とは、空間の一定部分を占有していることをいう)を本質とし、心は非延長的な思考を本質とするから、この二つは異質なものである、デカルトは考えた。
 このようにして、物と心を分けておけば、物の存在は心の存在に左右されることはない。物、すなわち客観は延長を持たない神や霊魂や個々の主観とは独立に存在するという話になる。心や主観が入れば、事情は個々人によって違ってくるが、主観が入らなければ、事情はすべての人にとって同じである。ここに客観という公共性が出現する。

(池田清彦『科学とオカルト』より)

○■ / 池新