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課題集 ペンペングサ3 の山

○自由な題名 / 池新
○ひなまつり / 池新
○大量の情報の中で、窓 / 池新
★ある日のこと、日本の明治維新が / 池新
 ある日のこと、日本の明治維新が成功した理由の一つは、それまでの二世紀半にも及ぶ、対外関係に精力を取られることのなかった鎖国のおかげで、日本人は国内の社会基盤の整備、治山治水、農地の拡大、そして官僚制度の確立といったことに専念することができたため、近代化への準備が一応整っていたからではないか、という話になって、歴史の専門家でもない私が、乏しい知識を総動員して、一生懸命説明に及んだのです。
 ところがよく知っていることが、英語としてうまく出てこないのです。参勤交代、お国詰め、譜代、外様、天領、お国替え、そして駕籠かごや関所といった、何でもない徳川時代についての日本語が、すっと右から左へ英語になって口から出てゆかないのです。
 よく知らないことが言えないのなら当たり前でしょう。しかし自分としてはよく知っている日本のことが、さっぱり英語にならないというこの苦い経験は、私にとって、それまであまり気にもしなかったいろいろなことを、深く考えさせるきっかけとなりました。
 じつはそのときまで私は自分の英語力に、かなりの自信をもっていたのです。しかしそれは考えてみると洋書をたくさん読み、西洋のことを長い間いろいろと勉強した結果として、西洋に関することならば一通り英語で考えたり、口に出して言ったりすることができる、ということに過ぎなかったのです。日本の歴史や文化、そして平素日本で見聞きするさまざまな事柄を英語で言い表わすという、日本人としての自己表現の訓練はまったく受けてこなかったし、また自分でする気もなかったため、日本人のくせに、いざこちらの問題を英語でちゃんと話す必要に迫らせたとき、あわてるはめになったのです。
 このように外国の事情を知り、外国から何かを学ぶ目的で、もっぱら国内向けに学校で学んだ、情報の受信解読専用の英語力では、逆に外国に向かって、自分の考えや日本の事情を説明し、相手を納得させるという、外向きの発信は必ずしもうまくゆかないのです。
 (中略)
 日本のことを詳しく知りたいという気持も、またその必要も外国にはありませんでした。このような時代に、日本人が苦労して、日本の事情や歴史・文化などを、欧米のことばで海外に発信することは、殆ど意味がなかったのです。∵
 しかも近代の日本には、外国人の好奇心の対象となるような変わった風俗習慣や、珍奇な美術品として高く評価された浮世絵、陶磁器、甲冑刀剣のようなものはたくさんあっても、西欧の人々がぜひ知りたい、何としても手に入れたいと思うような、高度の科学技術や進んだ学問はまだありませんでした。
 したがって諸外国が現在のように、日本についての言語情報を積極的に求め、日本人の発言の乏しさを嘆き、不満をもらすといった状況ではまったくなかったのです。こんな時代に、もし日本の学校で英語を始めとするヨーロッパ語を学ぶ際に、日本固有の文化や日本独自の事物や事柄を、外国語で何と表現したらよいか、日本の江戸文学をフランス人に理解させるために、どんな言語上の工夫が必要かなどと、もっぱら日本からの情報を海外に向けて発信することに力を注いでいたならば、まず日本は西洋に追いつくことなどできないばかりか、国家としての独立を保つことさえも、果たして可能であったかあやしいものです。
 しかし日本と世界の関係が一変した現在こそ、今度はいま述べたようなことに、全力をつくす必要があるのです。何しろ国内的にも、いまのように極度に大衆化し平均化した、日本の数ある大学に籍をおく、何百万という学生の一人一人が、自分で直接外国語を通して日本に取りいれなければならない大事な技術や新しい情報など、欧米とのあらゆる格差が解消した現在、もう殆どないわけです。むしろ学生たちは将来社会に出たとき、国の内外において外国の人から求められた際に、自分のこと日本のことを、外国語で思いきり話したり書いたりできなくては困る時代になっているのです。いやそれどころか、むしろ自分の方から積極的に機会をねらって、進んで日本の良さ、素晴らしさを宣伝する必要さえもあるのです。

(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』より)

○■ / 池新