昨日247 今日62 合計151900
課題集 ペンペングサ2 の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

★(感)人間は、合理的に / 池新
 【1】人間は、合理的にものを考える動物であると同時に、非合理な感情をそなえた動物でもある。言葉の意味にも、明示的な意味(デノテーション)と、含意的な意味(コノテーション)がある。【2】「感ずる」と「感じる」とでは、デノテーションはおなじだが、前者にはカミシモを着たような雰囲気があり、後者にはふだん着の雰囲気があって、コノテーションはずいぶんちがう。乱暴にいえばレトリックとはデノテーションではなくコノテーションに注目する姿勢のことである。
 【3】シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)は一枚のコインの裏と表のようなもので、切りはなすことはできない。だから言葉では、贈りものの中身と包装のようには、内容と表現を切りはなすことができない。【4】言葉は(いん(ようにいつもレトリックをひきずっているわけで、レトリックが市民権をえた今日、――とくに、言葉をなりわいにする人たちのあいだでは――内容と表現を区別することは、時代遅れもはなはだしい態度であり、「……はたんなるレトリックにすぎない」という発言などは、シーラカンスの合言葉とみなされる。
 【5】「豊か」な消費社会では、サービスや気持ちが重視され、おしゃれであることが重要なポイントになる。おしゃれでないことは、「貧しさ」を連想させるからだ。コノテーションがデノテーションを圧倒する現象がふえてきた。【6】ペン習字のお手本のような字より、変体少女文字のほうが、おしゃれでかわいい。
 中身と包装、内容と形式の二分はむなしいというのが、レトリック派の言い分である。けれども世の中は、言葉やイメージや気持ちだけで動いているわけではない。【7】農業や製造業の就業者数がへったからといって、非製造業だけで暮らしがなりたつわけではない。かりに日本が完全な非製造業国になったとしても、世界のどこかには農業や製造業がなくてはならない。
 【8】変体少女文字で書かれた文章も、ペン習字のお手本のような字で書かれた文章も、ワープロでおなじ活字に変換すれば、字体の雰囲気など問題にならなくなる。「感ずる」と「感じる」とでは、コノテーションはちがうかもしれないけれども、デノテーションはおなじだ。【9】「感ずる」と書くか、「感じる」と書くかは、たんにレトリックの差にすぎない場合がある。しかも、言葉がもちいられるのは、やはりそのような場合が多いのではないだろうか。∵
 残念ながら文学でも、内容と形式に二分できるような作品がゴロゴロしている。【0】逆にいえば、内容と形式に二分できないような作品だけが、一流と呼ばれるのだ。きわめて抽象的なメディアである言葉は、もっともタチのわるい包装となることがある。
 マス・イメージで連呼される「おいしさ」や「おもしろさ」の中身は、どうなのだろう。クルマのコマーシャルの舞台となっている外国のように、交通事情はいいのだろうか。空気はきれいなのか。普通にはたらけば、ゆったりした家が買えるほど、土地は安いのだろうか。日本はほんとうに「豊か」なのだろうか。派手で豪華な結婚式は、暮らしの貧しさやつまらなさを証明しているのではないだろうか。「豊か」な包装をちょっと破っただけで、中身の貧しさがすぐに見える。貧しいからこそ、必死になって豊かなイメージを追いかけているのかもしれない。
 そのむかし、三木清は「もう分析にはあきあきした。それよりいまはレトリックを必要とする時代だ」と言った。だが、現代のシーラカンスは、「……はレトリックにすぎない」という合言葉をつぶやきながら、三木清の言葉をひっくりかえす。もうレトリックにはあきあきした。それよりいまは分析を必要とする時代だ。

丘沢静也『からだの教養』による)

○I think it was Conrad Hilton / 池新
I think it was Conrad Hilton who first had the idea that travel would be greatly improved if as much of it as possible were spent in familiar surroundings. Faraway places with strange-sounding names are all very well, provided there are scrambled eggs for breakfast, air-conditioning, toilets that work, and people who speak English, even if they speak it with a curious accent. What the weary traveler needs after being up to his neck in foreigners all day is a drink with plenty of ice, a straightforward dinner menu that doesn't require all interpreter, a decent bathroom and a king-sized bed. Just like home.
The Hilton theory was, as everyone knows, a worldwide success. And this was for one very simple reason: even if you didn't always know where you were, you always knew what to expect. There were no surprises. A few touches of local color would creep in from time to time -- mangoes instead of orange juice, waitresses in sarongs instead of skirts -- but for the most part it didn't really matter whether you fell asleep in Tokyo or Mexico City. There was a certain standardization about the board and lodging that provided comfort and reassurance and familiarity even in the heart of the most exotic locations.
If the idea had stopped there -- as one among many travel options -- it would have been fine. Unfortunately, it proved to be so popular that it was adopted by one hotel chain after another, with varying degrees of local camouflage designed to add personality to a multi-national formula. With loud protestations that they were preserving the special character of each hotel they bought up, the new owners standardized everything that could be standardized, from bathroom fittings to color schemes, until the only sure way of knowing which city you were waking up in was to consult the phone directory as soon as you got out of bed.