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課題集 ペンペングサ の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

★どこかへ旅行がしてみたくなる(感) / 池新
 【1】どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。【2】そこでまずかりに温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しく見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の形勝名所旧跡などのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しく具体的な事が知りたくなって、今度は温泉専門の案内書を捜し出して読んでみる。【3】そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細な案内記を丁寧に読んでみたところで、結局ほんとうのところは自分で行って見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んでいればわざわざ出かける必要はないと言ってもいい。【4】次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人によってかなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調べた最後にはつまりいいかげんに、賽でも投げると同じような偶然な機縁によって目的の地をどうにかきめるほかはない。
 【5】こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。【6】そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気づかいもない。
 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初から賽をふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。【7】そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所旧跡などのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。【8】これは危険の多いへテロドックスのやり方である。これはうっかり一般の人にすすめる事のできかねるやり方である。
 しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人∵の話が、いつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠し耳をおおう。【9】それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自身は言わば行李の中にでも押しこめられたような形になり、結局案内記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽したりすると同じような事になる、こういうふうになりたがるおそれがある。【0】もちろんこれは案内書や教えた人の罪ではない。
 しかしそれでも結構であるという人がずいぶんある。そういう人はもちろんそれでよい。
 しかしそれではわざわざ出て来たかいがないと考える人もある。曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んで、その見る景色踏む大地と自分とが直接にぴったり触れ合う時にのみ感じ得られる鋭い感覚を味わわなければなんにもならないという人がある。こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避けたがる。便利と安全を買うために自分を売る事を恐れるからである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り出す機会がある。

(寺田寅彦「案内者」より)

○I think it was Conrad Hilton / 池新
I think it was Conrad Hilton who first had the idea that travel would be greatly improved if as much of it as possible were spent in familiar surroundings. Faraway places with strange-sounding names are all very well, provided there are scrambled eggs for breakfast, air-conditioning, toilets that work, and people who speak English, even if they speak it with a curious accent. What the weary traveler needs after being up to his neck in foreigners all day is a drink with plenty of ice, a straightforward dinner menu that doesn't require all interpreter, a decent bathroom and a king-sized bed. Just like home.
The Hilton theory was, as everyone knows, a worldwide success. And this was for one very simple reason: even if you didn't always know where you were, you always knew what to expect. There were no surprises. A few touches of local color would creep in from time to time -- mangoes instead of orange juice, waitresses in sarongs instead of skirts -- but for the most part it didn't really matter whether you fell asleep in Tokyo or Mexico City. There was a certain standardization about the board and lodging that provided comfort and reassurance and familiarity even in the heart of the most exotic locations.
If the idea had stopped there -- as one among many travel options -- it would have been fine. Unfortunately, it proved to be so popular that it was adopted by one hotel chain after another, with varying degrees of local camouflage designed to add personality to a multi-national formula. With loud protestations that they were preserving the special character of each hotel they bought up, the new owners standardized everything that could be standardized, from bathroom fittings to color schemes, until the only sure way of knowing which city you were waking up in was to consult the phone directory as soon as you got out of bed.