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課題集 ワタスゲ2 の山

★学者の仕事は(感)/ 池新
 【1】学者の仕事は芸術家のそれとまったく違った運命のもとにおかれている。というのは、それはつねに進歩すべく運命づけられているのである。これに反して、芸術には進歩というものがない。すくなくとも学問でいうような意味の進歩はない。【2】ある時代の芸術品が新しい技術上の手段や、またたとえば遠近法のようなものを用いているからといって、こうした手段や方法の知識を欠く作品にくらべてそれが芸術としてすぐれていると思うのは間違いである。【3】正しく材料を選び、正しい手法に従っているものでありさえすれば――いいかえればこうした手段や方法を用いてなくても、主題の選択と制作の手続きにおいて芸術の本道をいくものでありさえすれば――それは芸術としての価値において少しも劣るものではないのである。【4】これらの点で真に「達成(エルフュレン)」している芸術品は、けっして他に取ってかわられたり、時代遅れになったりするものではない。もとより、作品の評価は人によってさまざまであろう。だが、真に芸術として「達成」している作品について、それが他の同様に「達成」している作品によって「凌駕」されたとは、だれもいうことはできない。
 【5】ところが、学問のばあいでは、自分の仕事が十年たち、二十年たち、また五十年たつうちには、いつか時代遅れになるであろうということは、だれでも知っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である。いな、まさにここにこそ学問的業績の意義は存在する。【6】たとえこれとおなじ運命が他の文化領域内にも指摘されうるとしても、学問はこれらのすべてと違った仕方でこの運命に服従し、この運命に身を任せるのである。学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。【7】それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。もとより、学問上の仕事がのちのちまで重んじられることもありうる、たとえばその芸術的性質のゆえに一種の「嗜好品」として、あるいは学問上の仕事への訓練のための手段として。【8】しかし、学問としての実質においては、それはつねに他の仕事によって取ってかわられるのである。このことは――くり返していうが――たんにわれわれに共通の運命ではなく、実にわれわれに共通の目的なのである。【9】われわれ学問に生きるものは、後代の人々がわれわれよりも高い段階に到達∵することを期待しないでは仕事をすることができない。原則上、この進歩は無限に続くものである。かくて、われわれはここで学問の意義はどこにあるかという問題に当面する。【0】というのは、このような運命のもとにおかれている学問というものが、いったい有意義なものであるかどうかは、けっして自明ではないからである。事実上終りというものをもたず、またもつことのできない事柄に、人はなぜ従事するのであろうか。

 (マックス・ウェーバー著、尾高邦雄訳「職業としての学問」より)