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課題集 ツゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○うれしかったことや悲しかったこと / 池新
★わたしのしているスポーツ、私の友達 / 池新

○ある辞書で / 池新
 ある辞書で「かかし」というところをひいたら、ほんもののかかしの意味のつぎに「見かけだおし」と書いてありました。かかしが、役にたちそうに見えて、さっぱりききめがないことから、そんなたとえがうまれたのだろうと思われます。(中略)
 ところで、たいていのかかしは、人のすがたに似せてあります。スズメは、それを、ほんものの人間とまちがえて、おどろいたり、おそれたりするでしょうか。
 そういうことは、まず、ありません。いままで、なにもなかったところに、見なれないものが立った――ということで、ちょっとのあいだ、用心するだけです。
 渋谷直衛さんという人が、あるとき、こんな実験をやってみました。「たんぼに糸(白糸と赤糸)をはる。」、「やっこだこ(白いものと、赤いもの)を立てる。」、「なわをはる。」、「人形を立てる。」この四つを、つぎつぎにやってみて、そのききめをためしたのです。
 さあ、どんな結果が出たと思います? スズメがおそれたのは「糸はり」、「やっこだこ」、「なわはり」、「人形」のじゅんでした。つまり人形は、もっともききめがうすかったのです。
 それでは、なぜ、人間のすがたをしたかかしを、むかしから、たんぼに立てるのでしょうか。
 遠いむかし、かかしは、いまのような、スズメおどしの役につかわれたのではない――といっている学者もあります。(中略)
 むかしの人は、いろいろな願いごとを、神さまにたのむことが多かったようです。大きなお宮やお寺におまいりするほか、道ばたの野ぼとけや、おじぞうさまにも、ちょっとした願いをかなえてくれるようにと、おいのりしました。
 それと同じく、かかしにも一種の神さまのような資格(神格といいます)をあたえて、
「かかしさま、そういう、みの、かさつけたかっこうで、雨をよび、いつも、田に水をたたえておいてください。」
と願ったものだろう――というのです。つまり、雨ごいの目的だったというわけです。時代とともに、だんだん、かかしのねうちがさがって、のちには、ただのおまじないとして立てておくだけになったのでしょう。∵
 これを「鳥おどし」としてつかうようになったのは、むかし、備中国びちゅうのくちにいた玄賓げんぴんという、えらいぼうさんだったとつたえられています。つまり、「鳥おどし」の目的は、あとからつけくわえられたものだというわけです。
 しかし、かかしのなかには、みの、かさをつけたものばかりではありません。農家で仕事のときに着るのら着や、古くなって着られなくなったボロ着物をつけ、手ぬぐいをかぶっているものなども、たくさんあります。
 これは、どういうわけでしょうか。それについては、こんな意見があります。
「着ふるした着物や、かぶりつけた手ぬぐいなどには、人間のにおいがしみついている。それらをかかしにつけて、田畑に立てておくと、夜、作物をあらしにきたイノシシやシカを、追いはらうことができる。
 それらのけものたちは、とても鼻がよくきくので、人間のにおいをおそれて、いちはやく逃げていく。人間の着物をきたかかしは、そんな目的で作られはじめたのだ。」
 なるほど、人間のにおいが、雨や風にうたれて、うすくならないあいだは、いくらか、ききめがあるかもしれません。
 そうだとすれば、もともと、けものを相手に作られたかかしが、同時に、スズメおどしの役に、つかわれたのかもしれないのです。
 しかし、けものの住む山から、ずっとはなれた土地のたんぼでも、かかしを立てます。これには、まえの考えかたは、あてはまりません。
 すると、「雨ごいのかかし」に似たような意味で、かかしに、神格をあたえ、「スズメを追ってください。」という、いのりをこめて、たんぼに立てた時代も、あったのかもしれません。
 人間というものは、一度一つのしきたりができると、それを、ずっと守りつづけるくせがあります。むかしの人は、ことにそうでした。
 たとえ、たいして役にたたないことでも、祖父がやったから、父もやったから――というので、何代もつづけたものです。かかしも、そのひとつでしょう。

(小林清之介きよのすけ「新編 スズメの四季」)