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課題集 ツゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎おいしかったことやまずかったこと / 池新
★小さいころから大切にしているもの、ないしょの話 / 池新

○家の中で飼っているイヌが、 / 池新
 家の中で飼っているイヌが、自分の足で部屋のドアを開けるところをみたことがある人もいると思います。このとき私たちは、そのイヌを「頭がいいなあ」と感心してしまいます。もちろん生まれつきそうするようにイヌの脳のなかに組み込まれていたわけではなく、おそらくご主人様のすることをみて学習したのでしょう。いずれにしても、何かの課題に対する動物の行動が、ヒトのとる行動と同じであったとき、私たちはその行動を「賢い」と思います。
 イルカについてみてみましょう。これまでおこなわれてきた種々の認知にかんする研究では、イルカの示した行動や、結果の内容そのものにヒトやチンパンジーと共通した点が多くみられています。言語に関した研究では、イルカが、人間の文法をある程度ていど理解できることがわかりました。また、イルカの社会生活を観察してみると、そこにはヒトと同様の高い社会性を見いだすことができました。
 しかし、「だからイルカは『賢い』」と断言するのは危険です。よく考えてみると、イルカの知能の程度を知ろうとしたはずのこれらの実験や観察は、実は、ある課題や状況に対する対処のしかたが、いかにヒトのやり方に近いかを測っているに過ぎないのです。
 動物の知能に序列をつけた研究は少なくありませんが、いずれの場合も必ずヒトが第一位になるような基準になっています。ハトやラット、あるいはチンパンジーやイルカが、ヒトより「頭がよい」ではいけないのです。しかし、実際にはどうでしょうか。
 動物の行動や生活はじつにさまざまで、空を飛び回る種類もあれば、地中を自由に動き回るものもいます。また、昼に活発に活動するものもあれば、夜しか行動しない動物もいます。このように、動物はそれぞれ異なった生態をもっているわけで、したがって、その動物にはその動物にあった環境への適応の仕方があるのです。そんなそれぞれ異なる動物間で、知能を比較することなどできるのでしょうか。∵
 動物の知能について考えるとき、私たちは自分たち人間に「できる・できない」、「ある・ない」で知能の優劣を判断してしまいがちです。イルカは、超音波でものを探り当てることができます。もちろんヒトはそんなことはできません。しかし、そういったヒトにはできないことがあると、どうしてもそれだけが強調されて、「イルカは人間を超えた知能や能力をもっている」という話になってしまいます。また、イルカがパズルのような課題をどうしても解くことができないと、私たちは、「イルカはその問題についての処理能力が劣っている」と考えます。
 けれども、イルカにしてみれば、そんなパズルが解けるかどうかより、真っ暗な海のなかでいかにして餌をとるかのほうがはるかに重要です。要するに、イルカにはイルカの「生き方」があり、その生き方に応じて必要な「知恵のめぐらせ方」があるわけですから、「賢さ」あるいは「知能」とは、自分の必要度に応じて、いかに環境やその場の状況に的確に対処・適応しているかということなのです。もちろん、そういった適応のしかたは、ヒトとは全然違っているはずです。ヒトにとって大切な能力だからといって、イルカにしてみればあってもなくてもどちらでもいいようなことで、知能の優劣を測られたのでは、さぞかしイルカも無念でしょう。
 動物間で知能を比較するということは、眼科のお医者さんと皮膚科のお医者さんとで腕前を比べるようなものです。知能を表すのにすべての動物に共通した基準などありません。イルカなりの基準で、彼らの知能の程度について考えてみてください。

(村上司・笠松不二男「ここまでわかったイルカとクジラ」)