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課題集 ツゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○木登(きのぼ)りをしたこと / 池新
★ゆるしてあげたこと、どきどきしたこと / 池新

○ライオンの「食」といったとき、 / 池新
 ライオンの「食」といったとき、ライオンが肉切れを食べるところだけを頭に描いたとすればそれは一面的なとらえ方でしかなく、ライオンのライオンらしさをとらえることはできない。どのような生物界にくらしているのか、そこでどのようにして獲物を見つけだし、どのようにして接近し、その獲物をどのようにして捕えて殺すのかということまでもまた描かなければいけない。
 同様に、人間の「食」といったときも、食卓にすわっての食事だけを頭に描いたのではやはり一面的なとらえ方になってしまう。カロリーと栄養のバランスだけが人間の「食」のすべてではないのである。
 人間の「食」には、さまざまな人間の手が加わっている。食事のときにはしやスプーンを使うのも一つのあらわれだが、それだけではない。わたしたちが毎日食べているお米を例に考えてみよう。お米のもとはイネの種子である。このイネは人間が人間のためにつくりだした作物の一種であり、田んぼで栽培されている。
 この田んぼを耕すためにはいろんな農機具を使う。その農機具は別の所で別の人たちがつくる。堆肥は別にしても化学肥料を入れるとすればその肥料もまったく別のところで別の人たちがつくっている。
 人間は社会的存在として食べているというのは、まさにこのことである。動物の食べるとはまったく違っているのである。
 できたイネの種子は、つくった人たちとはまったく関係のない人も食べている。こんなことも動物の世界にはない。
 また、収穫した種子全部を食べてしまわないで、つぎの年にまたタネまきをするために保存する。意識的にこんなことをするのもまた人間だけである。
 種子はそのままでは食べない。この種子にはまだしっかりとしたえい(外皮)がついており、これをまずはずす。はがしとったえいはもみがらと呼ばれ、もみがらがない種子は玄米という。玄米はさらに∵果皮、種皮がはがされるが、このとき胚もはがしとられ、胚を育てる栄養分(デンプン)が主体の白米となる。はがしとった粉はぬかといっている。
 白米はそのままでは食べない。水と一緒にして煮る。いまは電気を用いる炊飯器が普及しているが、すこし前まではすべて火で煮たものだ。
 煮ることによって、口の中でかみ砕きやすくなる。もう一つ大切なことは米を煮ると米の中に含まれているデンプンがアルファデンプンに変化してくれることだ。ヒトの口の中の唾液にはプチアリンという酵素が含まれており、このプチアリンは煮ることによってつくられたアルファデンプンに対してよく作用する。
 この意味で、米を煮るということは消化の第一歩にもなっているのだ。口の外で食物を意識的に消化させるようなことをするのも人間だけであり、火の発見がこれを可能にしている。米を食べることは、米をつくる人の、そして道具をつくる人の労働の結晶を食べることでもある。この意味でも人間は社会的に食べているといえる。

(黒田弘行「食の歴史」)