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課題集 チカラシバ3 の山

○自由な題名 / 池新
○お手伝いをしたこと / 池新

○くたびれたこと / 池新
○このところ酸性雨が / 池新
 このところ酸性雨が地球規模の環境問題となってきたのも、ヨーロッパを中心として、旧西ドイツ、オランダ、スイス、イギリス、デンマークなどで森林が大きな被害をうけていることが、テレビや新聞などで知らされてからです。これらの国では、森林面積の半分以上の木が、マツ枯れなどの被害をうけています。
 カナダでは、シロップをとるカエデの木に、いちじるしい被害が出ています。ニューヨークのアジロンダックの山林地帯で、赤トウヒは林の半分以上が、すでにかれてしまいました。中国は一九七○年にはいり工業化をすすめ、いまや年間一○億トンの石炭をエネルギー源として燃やし、その結果、酸性雨によって四川省の美しい我眉山がびざんのスギがすがたを消しはじめ、その約九○%が被害をうけています。
 日本ではどうだったのでしょうか? 四日市石油コンビナートや水島などの近代公害よりも、はるかまえの公害の原点といわれた足尾製錬せいれん所周辺の森林は、大正初期までに六○○ヘクタールがはげ山となったのです。木を育て、木を切って生活する林業経営ができなくなった面積は、一六○○ヘクタールになってしまいました。秋田県小坂銅山では、一九一○年ごろに森林の被害がひどくなり、被害面積は一一万五○○○ヘクタールになったのです。また、茨城県の日立銅山は、一九一五年から一九二八年あたりまでに三万五○○○ヘクタールに被害をもたらし、アカマツ林は一万ヘクタールがかれてしまいました。
 愛媛県の別子べっし銅山は、一六九一年に銅をほり、精練を始めました。明治のはじめには製錬せいれん工場を大きくしました。その結果、ムギやイネなどのあらゆる農作物、森林に大きな被害をおよぼしたのです。一八九九年のことですが、森林がかれ、はげ山となったところへ大雨となり、山くずれを引きおこし、五一三名のとうとい命がうばわれたのです。
 山に木がなくなると、雨は地下へもぐらず、山はだをドッと流れ∵だすので、洪水がおこります。あまりの被害のため、一九○五年別子銅山は、四国の新居浜から瀬戸内海にうかぶ無人島の四阪島へ、製錬せいれん所をうつすことになりました。
 新居浜から三○キロメートルもはなれた四阪島へ工場をうつしたから、もう被害はないものと信じ、製錬せいれんを始めました。四阪島の工場のえんとつからふきだした大気汚染物質は、瀬戸内海の海上を、風にのって流れます。海の上をゆっくり流れながら、海面から蒸発した湿気に亜硫酸ガスなどがどんどんとけこみ、ガス体よりも濃度はこくなっていきます。ガスよりも毒の強い酸性のきりとなり、四国の海岸にやってきて、四国の陸地、山などにぶつかります。こうして、大気汚染物質とその酸性のきりは広がっていきます。
 つまり、海の上は水平で、風速一秒間に三〜四メートルのときは、着物を着るときの帯のようになって流れていくのです。三○キロメートルもはなれた四阪島のえんとつから出た、大気汚染物質とその酸性のきりは、四国に上陸して、帯状から扇状になって広がります。濃度はうすまりますが、汚染物質は風の方向まかせで、四国の瀬戸内がわの海岸のいたるところを、おそうことになったのです。

(谷山鉄郎てつろう「酸性雨がふっている」)