昨日394 今日181 合計152935
課題集 テイカカズラ3 の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新


★住居の形態も / 池新
 住居の形態も、近所づきあいも、教育も、社会のしくみが、むかしとくらべて、ひととひととがふれあって生きにくくなっているのは事実だ。だからといって、個室にこもってしまったら、ますます友だちなんかできるはずがない。ひととつきあうということは、出会うことから始まる。実際に出会って、ああこのひとが好きだとか、きらいだとか思うわけだ。
 自分だけの個室にいれば、だれも文句をいわないし、いやな人間もいないし、居心地はいいかもしれない。でも、それは、あぶないことやいやなことをさけるシェルターにこもってしまうようなものだ。無菌培養でも、おとなにはなれるだろうが、ときには外部の菌にまみれて、免疫をつけていくことも大切だ。それが、人間としてのほんとうの勉強だ。
(中略)
 友だちができない、という人生相談には、ぼくは、
「それは、キミ自身が悪いんだ」
 そう答えてきた。自分で、カラをこしらえているのが悪い。カラをつくって、自分の世界にとじこもって、心の個室までつくってはいけないんだ。自分の世界だけでなく、他人のことにも興味をもたないとね。
 ひととうまく接していくには、話術も大切だ。ひととひととのふれあいは、話すことから始まるのだから。まだ、きみたちは若いから、話術がじゅうぶんでないかもしれないが、今のうちに、どんどん恥をかきながら、それをみがいていけばいい。でも、個室で、パソコンを相手にしていたら話術などみがけるはずないよ。
 もちろん仲間とつるんで行動して、一見、友だちがいっぱいいて楽しそうに見える子どもたちもいる。しかし、ほんとうに心の通じあいみたいなものはあるのだろうか。
 最近、カラオケボックスが人気だが、若者の様子をのぞくと、だれかがうたっているかたわらで、ほかのひとは、めいめいにカラオケの本をめくって、自分のうたう曲をもくもくとさがしている。だれもひとの歌をきいてもいなければ、まったく話をしてもいない。∵会話なんて、存在していないようだ。あれでは、べつに友だちでなくとも、知らないひとといっしょだって同じことだ。
 ぼくの目には、みんな同じグループのなかにいながら、それぞれが目に見えない個室にとじこもっているように見えてしまう。あんなことをやっていて、楽しいんだろうか。あまり話しなれていないから、そのほうが、きっと楽なのだろう。デートのときも、あんな調子なのだろうか。なんだかとてもさびしい気がする。
 若いきみたちには、どんどんいろいろなひとと会ってほしい。たくさん友だちをつくって、人間の勉強をしっかりしてほしい。将来、社会に出たときに、映画の「モダン・タイムス」みたいに、単なる機械の歯車のひとつとして、もくもくとはたらくしかない、ということにならないためにも。
 歯車になりきれず、人間性の欠如した社会で落ちこぼれたチャップリン扮する労働者は、同じように社会からはみだしてしまった自分の彼女に向かって、
「Buck up never say die、We’ll get along」
「元気を出すんだ、死ぬなんていっちゃだめ。うまくやっていけるさ」
 そういってはげます。
 そう、人間性をもったひとは、きっとうまくやっていけるのだ。だから、ひととの出会いを大切にして、自分のことをどんどん話し、相手の話にも耳をかたむけることだ。そのためには、ひとに好かれるような素敵な人間でいることもわすれないでほしい。
 ぼくは、子どものころから、いっぱいあそんで、いっしょうけんめいに仕事をして、大勢おおぜいの友だちと出会った。子どものときに、友だちとあそんだから、今も、たくさんの出会いがあるのだと思う。無理をして体をこわしてしまったこともある。コツコツお金をためていたら、今ごろ、大きなビルがたっていたかもしれない、と思うこともある。
 それでも、ぼくは、お金がふえるより友だちがふえるほうがいい。そのほうが人生は楽しい。だから、これでいいのだ。
(赤塚不二夫「学校よりも人間の勉強がだいじなのだ」)