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課題集 テイカカズラ3 の山

○自由な題名 / 池新
○節分、マラソン / 池新
★ランニングをしたこと、楽しい夕食 / 池新

○その夜も洗面所で / 池新
 その夜も洗面所で歯ブラシを使っていたら、ガラス戸いちまい向こうの風呂場で、子どもたちが、喋っていた。
 まず中学一年の兄貴が、少し大人っぽい口調ではじめる。
「うちのとうちゃんは、このごろ、ちょっと、おかしいと思わんか。」
「そうや、そうや。」
 だいたいがイエス・マン風の小学四年の次男は調子がいい。
「とうちゃんは、自分で、子どものことが専門や、子どもの味方やと、いばっとるけど、とうちゃんのいう子どもとは、よその家の子どものことと違うか。」
「そやそや。ぼくら、うちの子を、あまりかわいがってくれへんわ。」
「帰ってくるのが遅い、いうのが、第一まちがっとる。それに、よう外泊しよる。」
「日曜でも、あれは何や。仕事です原稿かきます、とか何とかいうとるけど、自分の部屋で、ぐうぐう眠っとるのやで。どこにも連れていってくれへん。」
「つまり、とうちゃんのいうとる子どものなかには、ぼくらは、はいっとらん、いうわけや。」
 やつらはなかなか手きびしい。
 なるほど、わたしはあまり早く帰宅するとはいえないし、帰らない日も少なくないのである。
(中略)
 そのときは、それで終わったのだが、やがてしばらくすると、わたしの部屋へ、そろってやってきたのである。というより、兄貴の方が、あまり乗り気でない次男をひきずって、いわゆる団体交渉にきたものとみえる。
「おとうちゃんに、聞くけどな。」
 兄貴から、きりだしてきた。
「まい晩おそいのは、仕事や、というとるけど、何の仕事しとるのや。」
「まだ、わかっとらんな。とうちゃんはな、何十万、何百万という子どもたちのためにな、骨をおって、りっぱな影絵やらアニ∵メーションやらの製作をしとるのやぞ。」
 おとなげないと思ったが、わたしも紋きり型に、胸を張ってみせた。もちろん、わたしが遅くなるというのは、こういうことだけではないのだが、勤めのことや研究室の仕事など説明してみても、はじまらない。彼ら向けの言い方をしてしまう。
 「いいか。世のなかの子どもたちは、とうちゃんの仕事のおかげで、どんなに、たのしい目をしとるか、わからんのやぞ。」
 だが中学一年ともなれば、こういうハッタリじみたこけおどしには降参しない。
 「何十万何百万のよその子どものために、ぼくらギセイになってもええというのか。」
 ときた。やはり焦点のあった、つくべきところは、ちゃんとついているという感じである。しかし、ゆきがかり上、わたしも、ひきさがるわけにはいかない。
「ゼイタクをいうな。そんなとうちゃんと、同じ家で住んでいられるだけでも、ありがたい、名誉あることやと思って、よろこべ!」
 このへんは、いうまでもなく漫才のつもりなのだが、急に、これまで黙っていた次男が口を出した。
「そうやそうや。ぼく、おとうちゃんの言うのん、正しいことやと思う。」
 わたしは、ちょっとドギモをぬかれたように、次男の顔をみた。次男は相当気弱な子どもで、さきほどの風呂場でのやりとりを、わたしに聞かれたことに、よほど負い目を感じているらしい。
 そういう、しおらしさが、かわいそうになって、
「弟のほうが、ずっと、ものわかりがええやないか。」
 適当にほめてやると、兄貴はフンぜんと席をたった。
「裏ぎりもんめ。おまえは、すぐ、とうちゃんに、ごまかされよる。話にならん。」
 そして、どんどん二階の勉強部屋へ駆けあがってしまった。
 そんな兄貴のようすをながめながら、次男は気のいい小さな笑いをみせた。
「こいつは、かわいいやつや。」∵
 わたしは頭をなでてやりたいくらいだったが、彼の作文を担任の先生に見せられて、あきれかえった。
 ぼくのおとうちゃんは、おおげさで、にぎやかで、しりたがりやで、おこりんぼです。
 こういう書きだしで、その一項ずつ実証するかのように、具体的な事実を、ぬけぬけと書いているのだ。
 たとえば「おおげさ」という条は、こういう調子である。
 影絵なんかするとき「これは日本一のスクリーンでやってんのやぞ」と、ものすごく、いばった顔つきで、いいます。京都会館でみると、きれいやなあと思うけど、ほんまに日本一やろかと思います。
 また、七度五分ほど熱がでると、「へんとうせんで、こえがでない」といって、大きなスズを、リンリン、リンリン、何べんもならします。
 八度五分ほど、熱がでたら、「ユイ言じょうを書く」いわはります。
 ぼくは、びっくりして、心ぞうが、ドキドキしましたが、おかあちゃんは、平気でごはんを食べています。
 バカらしいから、このあとは引用しない。しかし、とんでもないところで闇討にあったみたいな、こころおだやかでない変な気持ちである。
 しかも次男の担任の先生は、まじめくさって、ほめあげてくれるのである。
「さすが、おとうさんに似て、するどい観察をする子どもですよ。たのしみですなあ。」
 たすけてくれ。

(中川正文「次男の観察」)