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課題集 タラ3 の山

○自由な題名 / 池新
○おねしょの思い出 / 池新


★私たちは東京に住むと / 池新
 私たちは東京に住むと東京の生活一色になってしまいますが、そうでなくて田舎に行く。観光地に行ったり、盆のときにバーッと行くのではなくて、そこで二週間ぐらい昼寝したり、そこでとれるものを食べたり、いっしょに畑をやってみたりする。いちばん子どもにとってだいじなのは、動物が生まれるところをみせる、死ぬところをみせることです。あるいは自分がなにかを植えて、それが一日一日と大きくなって、やがてそれが刈り取られて死ぬところをみせる。そうやって人間が自然のなかの一部であり、自然とどう付き合っていくかがだいじだということを教えないといけません。そういうことを学者ふうにいいますと「農業の教育力」といいます。これはルソーの言葉です。農業は教育力があるのです。
 そうした教育力が工業になぜないかといいますと、現代の工業は産業システムのなかの一部分しか一人の人が担当しないからです。たとえば一人の人が鉱山から鉄を掘るところからはじまって、あるいはそこまでいかなくても、せめて一人ですべての部品を組みたてて車をつくっていくとするなら、これはおそらくすばらしい体験になると思います。でも、それは許されない。流れ作業とかの産業システムのなかの一部分だけ、ただいつも同じボルトを締めているしかないのです。そうすると、自分でなにかをつくったという体験にならない。
 誰でも経験があると思いますが、何か自分でものをつくるとしますね。頭のなかにそのつくるものをイメージする、やってみる、うまくいかない、がっくりくる。でも、この次がんばってやってみる。そのくりかえしのうえにできたときにすごい喜びがあります。それとおなじように、ことしはこの畑になにをまこう、あるいは牛を育てよう。そういうふうに仕事というのは、まずゴールがイメージできて、自分の力でそれにいっしょうけんめい近づいていき、それを達成したときには喜びがあるというのが、仕事のいちばんだいじなところだと思います。
 ところが、不幸にして、現代の工業システム、産業システムは、人間からそういう仕事の喜びを奪ってしまう。試行錯誤をしたり、考えこんだりしているヒマがあったら、はやく、たくさん、同∵じものをつくらなければ効率が悪い、競争に負けるというのが、現代の工業の考え方です。自分のやっていることの意味が全体のなかでわからないから面白くない。ところが、農村にいくと全体が身をもってみえるのです。
 工業が自然を破壊してしまうのも、これと関係があると思います。私は、工場や商社に勤めている人がみんな環境破壊をしようと思っているなどとは思いません。しかし、工業のシステムに入ってしまうと、自分のやっていることが地球のなかでどんな意味をもっているのかわからない。自分が締めているネジが、自分が使っている薬品が、どんな影響を地球に与えるかなどというのは、流れ作業のなかではまったくみえてこない。それで、知らず知らずのうちに、地球をこわしてしまっているのです。
(中略)
 農業はいまや日本のGNP(国民総生産)の二%ぐらいしかないからもう要らないというのが産業界の意見ですが、そうではないのです。それはコメやなんかの値段だけ。値段だけを比べてほしくない。その陰になっているものを認めなければならない時代がきたのです。
 それは経済性を追わないという時代でもあります。追わないことがかえって利益になる。即座には利益になりませんが、あとあとそれが利益となって帰ってくるのです。

(井上ひさし「続 井上ひさしのコメ講座」)