課題集 ルピナス3 の山
苗
絵
林
丘
○自由な題名
/池
池新
○太陽
/池
池新
★あくる日になると
/池
池新
あくる日になると、喜いちゃんがまたぶらりとやって来た。
「君昨日買ってもらった本のことだがね」
喜いちゃんはそれだけいって、私の顔を見ながらぐずぐずしている。私は机の上に載せてあった書物に眼を注いだ。
「あの本かい。あの本がどうかしたのかい」
「実はあすこのおやじに知れたものだから、おやじがたいへん怒ってね。どうか返してもらって来てくれって僕に頼むんだよ。僕も一ぺん君に渡したもんだからいやだったけれども仕方がないからまた来たのさ」
「本を取りにかい」
「取りにってわけでもないけれども、もし君の方でさしつかえがないなら、返してやってくれないか。なにしろ二十五銭じゃ安すぎるっていうんだから」
この最後の一言で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、――不善の行為から起こる不快――をはっきり自覚しはじめた。そうして一方ではずるい私を怒るとともに、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。
私のこの心理状態は、今の私が子供の時の自分を回顧して解剖するのだから、比較的明瞭に描き出されるようなものの、その場合の私はほとんどわからなかった。私さえただ苦い顔をしたという結果だけしか自覚し得なかったのだから、相手の喜いちゃんには無論それ以上わかるはずがなかった。括弧の中でいうべきことかもしれないが、年齢を取った今日でも、私にはよくこんな現象が起こってくる。それでよく他から誤解される。
喜いちゃんは私の顔を見て、「二十五銭では本当に安すぎるんだとさ」と言った。
私はいきなり机の上に載せておいた書物を取って、喜いちゃんの前に突き出した。
「じゃ返そう」
「どうも失敬した。なにしろ安公の持ってるものでないんだから仕∵方がない。おやじの宅に昔からあったやつを、そっと売って小遣いにしようっていうんだからね」
私はぷりぷりしてなんとも答えなかった。喜いちゃんは袂から二十五銭出して私の前へ置きかけたが、私はそれに手を触れようともしなかった。
「その金なら取らないよ」
「なぜ」
「なぜでも取らない」
「そうか。しかしつまらないじゃないか、ただ本だけ返すのは。本を返すくらいなら二十五銭も取りたまいな」
私はたまらなくなった。
「本は僕のものだよ。いったん買った以上は僕のものにきまってるじゃないか」
「そりゃそうに違いない。違いないが向こうの宅でも困ってるんだから」
「だから返すと言ってるじゃないか。だけど僕は金を取る訳がないんだ」
「そんなわからないことを言わずに、まあ取っておきたまいな」
「僕はやるんだよ。僕の本だけども、欲しければやろうというんだよ。やるんだから本だけ持ってったらいいじゃないか」
「そうかそんなら、そうしよう」
喜いちゃんは、とうとう本だけ持って帰った。そうして私は何の意味なしに二十五銭の小遣いを取られてしまったのである。
(夏目漱石「硝子戸の中」)