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課題集 ルピナス3 の山

○自由な題名 / 池新

○水、流行と自分 / 池新
★私がまだ小学校に行っていた時分に / 池新
 私がまだ小学校に行っていた時分に、いちゃんという仲のいい友達があった。喜いちゃんは当時中町の叔父さんのうちにいたので、そう道のりの近くない私のところからは、毎日会いに行くことができにくかった。私はおもに自分の方から出かけないで、喜いちゃんの来るのを宅で待っていた。喜いちゃんはいくら私が行かないでも、きっと向こうから来るにきまっていた。そうしてその来るところは、私の家の長屋を借りて、紙や筆を売る松さんのもとであった。
 喜いちゃんには父母がいないようだったが、子供の私には、それがいっこう不思議とも思われなかった。おそらく訊いてみたこともなかったろう。したがって喜いちゃんがなぜ松さんのところへ来るのか、その訳さえも知らずにいた。これはずっとあとで聞いた話であるが、この喜いちゃんのおっさんというのは、昔銀座の役人か何かをしていた時、贋金を造ったとかいう嫌疑を受けて、入牢したまま死んでしまったのだという。それであとに取り残された細君が、喜いちゃんを先夫の家へ置いたなり、松さんのところへ再縁したのだから、喜いちゃんがときどき生みの母に会いに来るのは当たり前の話であった。
 なんにも知らない私は、この事情を聞いた時ですら、べつだん変な感じも起こさなかったくらいだから、喜いちゃんとふざけまわって遊ぶ頃に、彼の境遇など考えたことはただの一度もなかった。
 喜いちゃんも私も漢字が好きだったので、わかりもしないくせに、よく文章の議論などをして面白がった。彼はどこから聴いてくるのか、調べてくるのか、よく難しい漢籍の名前などを挙げて、私を驚かすことが多かった。
 彼はある日私の部屋同様になっている玄関に上がり込んで、懐から二冊つづきの書物を出して見せた。それは確かに写本であった。しかも漢文で綴ってあったように思う。私は喜いちゃんから、その書物を受け取って、無意味にそこここを引っくり返して見ていた。実は何が何だか私にはさっぱりわからなかったのである。しかし喜いちゃんは、それを知ってるかなどと露骨なことを言うたちではなかった。
「これは大田南畝なんぼの自筆なんだがね。僕の友だちがそれを売りたい∵というので君に見せに来たんだが、買ってやらないか」
 私は大田南畝という人を知らなかった。
「大田南畝っていったいなんだい」
「蜀山人のことさ。有名な蜀山人さ」
 無学な私は蜀山人という名前さえまだ知らなかった。しかし喜いちゃんにそういわれてみると、何だか貴重の書物らしい気がした。
「いくらなら売るのかい」と訊いてみた。
「五十銭に売りたいというんだがね。どうだろう」
 私は考えた。そうして何しろ値切ってみるのが上策だと思いついた。
「二十五銭なら買ってもいい」
「それじゃ二十五銭でも構わないから、買ってやりたまえ」
 喜いちゃんはこういいつつ私から二十五銭受け取っておいて、またしきりにその本の効能を並べ立てた。私には無論その書物がわからないのだから、それほど嬉しくもなかったけれども、何しろ損はしないのだろうというだけの満足はあった。私はその夜「南畝なんぼ莠言ゆうげん」――たしかそんな名前だと記憶しているが、それを机の上に載せて寝た。

(夏目漱石「硝子戸の中」)