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課題集 ルピナス3 の山

○自由な題名 / 池新
○草 / 池新

★目が心の窓だという諺は / 池新
 目が心の窓だという諺は、旅をする者には一番よくわかる。二十の紹介状、五十の名刺をくばってあるくよりも、さらにはるかに好都合なのは、自分の心の窓のすりガラスでないことと、田舎の心の窓の風通しのよいことである。よく旅から帰って、その地は人気がよいの悪いのという人も、その確信を証拠だてるまでに、多数の地方人と交渉または取引をしたのではない。やはり口では言い現しえぬ目の交通が、しだいに空な感じと思われぬまでに、強くその印象を与えるからである。電車や汽車の中でもいろいろな眼の光に接するが、それは主として草野を行くような変化の興味である。これに対して村里に入れば、その種類がほぼ揃っているために、いよいよ言語にかわる程度に、濃厚に人を動かすのである。
 窓のたとえをなおくり返すならば、旅人は別に所在もないために、終始この窓にもたれているのである。その窓前を多数の内部を知らぬ建物が動いていく。建物にはおのおのまた窓がある。のぞかずにおられぬではないか。またあちらでも窓の側に立っているらしい。もちろん中で喧嘩をしたり昼寝をしたりしているのもずいぶんあるが、もともとこういう旅人を見るために開けておく窓だから、ちょっとでも利用しようとするのが普通である。全体に口の少ない社会だから、われわれが言語を傭いまたは耳を利用するような場合にも、人々は目の窓だけですまそうとする。したがって見るためよりも見られるために、語るあたわざることを語らんがために、田舎の目ははるかに有効に用立っているようである。都会の目は多くは疲れている。こちらでは澄んでおるから中の物もよく映るのであろう。民族性というほどのものではないであろう。
 小児には何十回となく、目をもって商売を問われ行く先を尋ねられ、または手に持つ本やタバコの名をきかれたが、別にそれ以外にそれよりも交渉は淡く、人間としてははるかに有力なる宣言を、今度の旅行にもこの目をもって二度聞いた。石巻から乗った自動車が、岡の麓の路を曲がって渡波わたのはの松林に走り着こうとする時、遠くに人と馬と荷車との一団が、斜めに横たわって休んでいると見た瞬間に、その馬が首を回して車を引いたまま横路に飛び込んだ。小学校を出たばかりかと思う小さな馬方が、綱を手にしたままころ∵んだとみた時には、もうその車の後の輪が一つ、ちょうど腹の上を軋って過ぎた。それでも子供はまっすぐに立って、三足ほど馬を追って振り返ってちょっとこちらを見て、腹を両手で押さえてまた倒れた。反対の側の輪に力が掛かっていたともいい、路面に深いくぼみがあって、あたかもその中に転んでいたからともいって精確でない。とにかく病院に連れて行かれてその時は助かったが、ただの一瞬間の子供の目の色には、人の一大事に関する無数の疑問と断定とがあった。その中で自分に問われたように感じたのは、おりもおりこの時刻に、どうしてここを通り合わせることになったのかという疑問で、それがまた朝からいろいろの手配の狂い、計画の数回の変更が、ちょうどこの場へ今われわれの自動車を通らせることになったのを、一種の宿命のようにも取ることができたからである。
 中一日おいて次の日には、自分は十五浜いそはまからの帰りに、追波おっぱ川を上ってくる発動機船の上にいた。大雨の小止みの間に、釜谷の部落を見ようとして甲板に立つと曳船ひきふねを頼むといって濡れた舟が一つ、岸に繋いである所へ一群の人が下りてくる。石巻の医者へつれて行くチフスの病人と聞いて、事務員が面倒な条件ばかりを出すのを、一々首をもって承認して釣台を担いで乗ろうとする。年をとった女が二人付いてくる。荷の軽さが子供らしいので、なるべくこの窓だけはのぞくまいとしていたのに、やはりはずみがあってその子供と目を合わせた。「今昔物語」に鹿の命に代わろうとした聖が、猟人かりゅうど松明たいまつの光で見合わせたという類の遭遇で、ほとんど凡人の発心を催すような目であった。たぶんは出水の川船の数里の旅行の後、石巻で亡くなったことと思うが、それは十一、二ばかりの女の子であった。草の堤をやや下りに、船を見ようとして私を見つけたのである。目の文章は詩人にも訳しえまいが、あるいは自分を医者かと思って、お医者さんなら遠くへ行かずともすむのにと、考えたらしかったのが哀れであった。

(柳田国男「子供の眼」)