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課題集 ルピナス3 の山

○自由な題名 / 池新
○土 / 池新

★太古の人類の祖先たちも / 池新
 太古の人類の祖先たちも、ある種の独自の個体数(人口)調節機構をそなえていたはずである。ただし明らかにそれは、人口過密に基づくものではなかった。ごく初期の人類は、百人くらいの小部族で生活していた。狩をして動物の肉を手に入れることが特別の生活手段となっており、暮らすためのスペースが十分にある限りは繁栄していた。たぶん、そこで特別な人口調節システムとして機能していたのは、手に入る食物の量だった。広がって行く先が地球全体である場合には、人口過密は問題とはならず、それが人口調節機構として作用しはじめるということはありえなかった。
 しかし、実際にはそうではなかった。人類の創意による急激な技術革新のせいで、人口爆発が起こってしまった。進化を語るうえでは大海の一滴にも等しい一万年間というわずかな期間で、人類は、石器時代から原子力時代へと進化してしまった。しかも、小集団で暮らしていた頃の遺伝的遺産をそのままひきずってである。食べ物があるなら、好きなだけ産んでいいと語りかけたのが、ほかならぬその遺伝的遺産だった。人類が開発した技術が、自分たちがそなえていたそれまでの人口調節機構を無効なものとしてしまったのである。しかも、人口が急増したときに適用することのできる新たな生物学的歯止めを獲得する時間がなかった。
 その結果として何が起きたかといえば、人類は地球の略奪をしはじめ、それが進歩だと勘違いしてしまった。適切な進歩を遂げるためには、量よりも質に関心を集中すべきだった。そうすれば、人口は堅実に増加していき、それにともなって生活の質も上昇しただろうに。ところが実際に起きたことはといえば、その逆だった。一部の人間の生活の質は昔よりも良くなっているかもしれない。しかし、何百万何千万という人たちにとっては、はるか昔の石器時代、小部族に分かれて豊かな狩猟生活を送っていた頃よりも、日々の暮らし向きは悪くなっている。人口増加の歩調が速くなればなるほど、分け前にあずかる量は悪化していったのである。
 自分たちの生息環境に与えた損害は別にしても、世界の支配へとばく進したことで、ヒトという種は、自分たちも動物であり、相互に作用し合う生物圏の一部なのだという重大な基本的事実から∵自らを絶縁してしまった。画期的な発明が行われると、生じうる不都合も考えずに活用してきた。人類がそなえている創意工夫の才は、副作用の検査ができなかった薬品のようなものだった。われわれは、自分たちの体に隠れている原始人を、さまざまな光に満ちた未来の驚くべき遊園地に引きずり出してしまった。自分で自分の目をくらませてしまい、ときには、自分たちは動物などでなくて神なのではないかとまで考えることさえあった。もちろんそうであるとしたら、その聖なる立場に守られたわれわれは自然法則が課す危難を免れただろうに。
 そうした錯覚が犯した愚行は、少なくともかなりの先進地域の一部ではすでに垣間見られつつある。ある朝目覚めてみたら、地球はとりかえしのつかないほど破壊されていたという悪夢が、われわれの意識の中に浸透しはじめている。どうしてそんなことになってしまったのだろうか。すべては人類がルールを破ったときにはじまったというのが、私から見たその答えである。人類は、その力が動物たちの力を上回るやただちに困ったことに足を踏み入れはじめた。どんどん一方的になってゆく世界を創造しはじめたのである。それは、われわれの偉大な創意をもってしても制御できないほどの不安定さに満ちた世界である。

(デズモンド・モリス 渡辺政隆訳「動物との契約」)