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課題集 リンゴ3 の山

○自由な題名 / 池新
○円 / 池新

○私は一人で薪を / 池新
 私は一人で薪を燃やしていた。太い山毛欅の薪で、燃えつけば容易なことでは消えないかわりに、どんどん燃えさかることもない。背中が冷えてくるし、ぽつんとしているのが変に具合も悪くて、もっと炎を明るく、顔が赤くほてって来るようにしたかったのだが、その薪の肌をかき立てれば、火の粉が楽しげに煙突へ吸われて行くばかりで、かえってその後は寒々としてくるのだった。私は遠い他国へ来ている気持ちになって、シベリヤの冬を考えてみたり、カナダの田舎を思ってみたりする。その時私は満十四歳になってわずかしかたっていなかったが、どういう加減か老人の心持ちが分かってくるようだった。だれからも見離されたのでもなく、ただ自分から一人だけの居場所を見つけて、こうして火をいじりながら冬をすごしている老人が、この地上にはどのくらいいるか知れない。彼らはそれほど疲れているわけではないが、その一種の宿命的な、自ら選ばざるを得なくなった悲しみをこらえながら、なかばそれに慣れた顔付きで、燃える火を見つめている。彼らが何を考えているか、それが私には分かるような気がする。
 私の山への思慕は、こうしたある年の大晦日から始まる。煙突をうならせているこんな風も初めてだったし、この小屋の二重のガラス窓を打つ雪の音も珍しかった。そしてこれほどの寒さも、これほどの心の冷たさも初めてのことだった。火にすがりついているより仕方がない。
 それは山の中腹に建てられたかなり立派な小屋だった。外から入れば扉をあけもう一つ扉をあけたところが、私の好んで火の番をしていた土間なのだが、そこから四五段上がったところには、またもう一つ別の扉で寒気から充分に隔離された広間があり、そこはいつも暖炉であたためられていた。みんなこの小屋を利用する人たちは、そのあたたかい広間に集まっていた。大きいテーブルがあり、長椅子もあり、暖炉の前で本を楽しく読むこともできたし、床には上等なじゅうたんも敷いてあったから、火の前にすわり込んでもいられたわけだ。けれど私がそこよりも好んだ土間は、ちょうど太い煙突を中心にこの暖炉と背中合わせになっていて、二つ置いてある椅子は木製だった。外から雪だらけになって入って来る人たち∵が、そこへしばらく腰をかけて、上衣や足にこびりついたこちこちの雪をとかすためのものだった。だからうっかり腰をかけると、その椅子はぬれていた。ただ私を慰めることもなく、黙って見おろしているのは、その暖炉の上の壁にとりつけてある剥製の馴鹿じゅんろくの首だった。いかめしい角だが、鼻面やくびのあたりは、いつも優しくて、その角で何かを威嚇しようとしても、気の弱さや、心持ちが華美に生まれついていることをすぐ見破られてしまいそうな、そんな動物に思われた。それは、こうして剥製になって、壁の飾りになってからもよく分かった。窓の外につるして、窓ガラスの曇りを拭い取りさえすれば、そこから見られるようになっている寒暖計は、この寒い吹雪の晩に、氷点下五度に下がっていた。私は懐中時計をつけてそれを見た時の、指先の冷たさや、背中の寒さを覚えているが、その氷点下五度というのは気温ばかりではなくて、自分の心の温度でもあったような気がする。
 この心の冷たさをあたためるために、私は再び燃える薪の近くへ椅子を引き寄せてすわったが、それはたいして愚かなことでもなかった。なぜなら、やっとのことで炎を勢いよく出し始めた火が、私をあたためて眠りに誘い、いつの間にか、馴鹿じゅんろくのひく橇にのって、山の重なる雪道を走って行く夢を見た。それは私の知っているところではなく、どこを見ても一面の雪の、寂しい起伏の続いている山の麓のようなところではあったが、馴鹿じゅんろくは私をのせた橇を、自信をもってひいて行くので、私はどこか知らなくても、あたたかく自分を迎えてくれる一軒の家のあることを疑わなかった。そこには人が住んでいなくて、その馴鹿じゅんろくが優しい人のような生活をしているようにも思われた。

串田孫一くしだまごいち『若き日の山』)

○■ / 池新