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課題集 レンギョウ3 の山

○自由な題名 / 池新
○この一年、新しい学年 / 池新

★一九六〇年十二月二十三日。 / 池新
 一九六〇年十二月二十三日。
 ニューヨークに着いて、きょうで五日目だ。そして私のアメリカ滞在もやっと一と月近くになる。D君とは十九日に別れたが、クリスマスがすんだらまた一緒にセントルイスへ出掛ける約束をした。こんどは母君がクリスマス・プレゼントに買ってくれた五十九年型のシヴォレーだからガスの危険はないという。「本当は君たちもクリスマスによべるとよかったんだが」D君が困惑したようなハニかんだような顔で言い出すのに、私たちはあわてて、そのこころざしは感謝するが、こちらにも予定があるからと辞退した。D君の家に泊めてもらったことは貴重な体験になったし、一家の温かいもてなしは心から有難かったが、何といっても気骨は折れた。「ショウ」だの「ミチュ」だのと呼ばれることは、慣れれば何でもないことだろうし、はやく慣れてしまうべきかもしれないが、一方ではそんなことになってしまっては大変だという気もする。何が大変なのかは自分でもよくわからないが、とにかく困ることは困る。
 アメリカが理解しにくい国だというのも、一つはこんなことが原因なのかもしれない。つまり、われわれはこの国に同化されてしまうか、離れて外側に立つかどちらかで、その中間にいることが許されない。私にしても、もしもう二十歳も若ければ「ショウ」と呼ばれても平気だろうし、英語ももっと早くおぼえられるかもしれない。しかし、そうなるともう私は日本人ではいられなくなるはずである。アメリカを愛するにしろ、憎むにしろ、アメリカの枠の中でしか、ものが考えられなくなる。だが、また私のように女房づれで、こうやってブラブラしている者にとっては、アメリカはひどくとっつきにくい。街を歩いていても、どこを眺めていいのか眼の焦点の合わせようがない。二度目のニューヨークでは、さすがにこの前のときのようにブロードウェイをそれと知らずに歩くことはなくなったが、依然としてどこを向いて何を見るべきか見当がつかない。こんどニューヨークで私は、ミュージック・ホールのライン・ダンスを見た。近代美術館へ行った。『マイ・フェア・レイディー』を見た。グリニッチ・ヴィレッジの酒場や詩人が即興詩みたいなものをやっている地下の喫茶店へ行った。五番街のサックス百貨店やダンヒルの店で買いものをした。けれども、これはみんな東京にいてもできることばかりだ。近代美術館へ行ったとき、ピカ∵ソやマチスやアンリ・ルッソーやの絵ハガキでさんざん眺めてきた有名な絵ばかりどっさり並んでいるのを見た。しかし見終わって外へ出たとき、街の様子は入る前とちっとも変わって見えなかった。ちょうど京橋のブリヂストン美術館を出てきたときと同じだ。中で一枚でもニューヨークの街の絵を見つけていたら、たぶんこんなことはないはずだ。いやニューヨークの絵でなくとも、アメリカを描いた何か、アメリカを現している何かを見つけたら、こういう変にサッパリした気持ちではいられないだろう。いま私が近代美術館で憶えていることといったら、なかのカフェテリアで食った鮭の燻製と、絵や彫刻をまえにして女房が私の写真をとったことぐらいだ。鮭はナッシュヴィルでは食べられないニューヨークの味がしたし、美術館の中での記念撮影は日本にいては絶対に不可能なことだからだ。(じつは美術館へカメラをさげて行ったのは偶然のことだ。当然それは入口のクロークであずけさせられるものと思ったから、そのむねを申し入れると、係りの婆さんは妙な顔をして「なぜ持って入らないのか」と言う。こういう無造作な寛大さはアメリカ特有のものではないだろうか。そのかわり中で絵を見るより写真ばかりとっている人が多かったのも、いかにもアメリカ的だった)。

(安岡章太郎「アメリカ感情旅行」)

○■ / 池新