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課題集 レンギョウ3 の山

○自由な題名 / 池新
○寒い朝、体がぽかぽか / 池新

★「話」なしには夜も日も明けぬ / 池新
 「話」なしには夜も日も明けぬわれわれの生活であるが、聞くはしから忘れて行く話の分量も大変なものであろう。短編小説は、その意味では、まるで市井の淀みに浮かんで、かつ消えかつ結ぶ泡沫うたかたのごとくである。かえって子どもの時分に聞いたり読んだりした話の中に、奇妙にいつまでも忘れられぬものがある。
 私の場合、例えば人さらいの話などはそうであった。まだ「原っぱ」というようなものがあちこちにあった時代で、「人さらい」という言葉にもかなり実感があった。遊びに熱中して日が暮れても家に帰ろうとしない子供を脅すのに、大人はよく人さらいの話を持ち出した。
 さらわれた子供はサーカスに売られ、曲芸をするのに身体を柔らかくするため酢を飲まされる。そして、くる日もくる日も鞭で叩かれ、泣く泣く球乗りや綱渡りの芸を仕込まれる。それでも子供の身空では逃げ帰ることもかなわないなどと、今のサーカスの人が聞いたら怒るだろうようなことを、まことしやかに吹き込んだものである。
 人の子をさらって行くのは、人間とはかぎらない。大きな鷲が幼児を連れ去ったという、伝説めいた話も年寄りから聞かされた。鷲は、その子をどこかの寺の高い松の梢に引っ掛けて行った。それを運よく坊さんに拾われて育てられ、その子も長じて偉い坊さんになったとかいう話であった。
 子供心には、そういう話はお化けや幽霊のそれとはまた違った恐怖を与えた。子供はサーカスの苦行が恐ろしいのでもなければ、大鷲の爪に襟首を掴まれて宙高く舞い上がり、むりやり遠方まで飛行させられるのがこわいのでもない。そうした出来事の向こうに、故郷の家を思い父母を恋うて泣き暮らさねばならない永い年月を想像して、白日の悪夢のような絶望感におそわれるのである。
 森鴎外の短編『山椒大夫』でも知られる「安寿あんじゅと厨子王」の話も、子供には救いようのない話の見本のようであった。小学生の私は、あれを最初に講談社の絵本で読んで、やりきれない気持ちにさせられた。男の子なら誰しも自分が厨子王の身になって読むにちが∵いないが、おなじ人さらいに出会うのも母親と姉と姥と四人づれなのがいくらか心丈夫かと思うと、そうは行かない。姥は海に身を投げ、母は別の舟に乗せられて、あっという間に反対の方角に遠ざけられる。姉さんはやがて自分を助けるために、沼に入って死んでしまう。それでも自分は立派に成人して地方の役人になり、ついには母親にめぐり会うのは嬉しいが、しかし、その母は老いさらばえた乞食のような姿で、しかも盲目で、とある農家の庭先で粟にたかる雀を追っている。「安寿あんじゅ恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥もしょうあるものなれば、う疾う逃げよ、わずとも」と、その口ずさむ歌も哀れのきわみである。
 子供は、自分が受けた感動の内容を大人のように言葉で説明することはできない。ひどい話を読んだあとでは、何か毒でも飲まされたような苦しみが残るにすぎない。それを仮に言葉にすれば、悪人の働きが恐ろしいとか、姉さんの身の上がかわいそうとか、お母さんの姿が痛ましいとかいうだけではない。それよりも、そんなふうにして失われた月日は二度と返らない。たとえ母親が命だけは無事で、息子もちゃんと大人になったとしても、過ぎた時の埋め合わせは誰がしてくれるものでもない、それはあまりに残酷である、というようなことだったろう。

(阿部昭『短編小説礼讃』)

○■ / 池新