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課題集 ライラック3 の山

○自由な題名 / 池新
○ペット / 池新

★ものを移すとき / 池新
 ものを移すとき、いちばんやさしいのは物理的な移動である。任意のとき、任意の場所へ、そのまま移動できる。移されたものは、前の場所と新しい場所の違いなどによってほとんど影響を受けるということはない。たとえば、ヨーロッパから運ばれてきた机は着いた瞬間から机としての機能を発揮する。
 明治以来、わが国はおびただしい品物を外国から輸入してきた。品物は、手を加えずにそのまま移動できるので、手間がかからなくてよい。その方法を精神的文化財の輸入にあたっても適用してきたのではあるまいか。外国で流行していたり、重視されていたりする学問や芸術があると、すぐにそのまま持ってくる。なにしろ、これまで外国の学問をしてきたのはえりすぐりの人たちであるから、学問、芸術についてのこういう物理的な移動が、一応はできたように見えるのである。そして、人々は、しだいに文化が無生物ではなくて生命を持った有機体であることを忘れた。
 学問や芸術のような生き物を移すのは、植物的な移動、すなわち、移植でなければならない。たとえば、どんな小さな木でも移すとなれば品物を動かすように簡単にはいかない。まず、移植できるかどうかをあらかじめ考える必要がある。どんなにきれいな花が咲いているからといっても高山植物を自分の庭先に移植することはできない。受け入れ側の風土、地味、気候などがその植物に適合しているときにはじめて、移植が現実の問題になるのである。すぐれたものならなんでも、どこへでも移すことができるようにわれわれは考えがちであるが、根づかぬものはいくらでもある。
 外国の文化を取り入れようとするとき、なるべく元のままを、というのは人情であるが、これも移植の立場からすると考え直す余地がある。移植ということは植物にとって恐ろしい危険を伴う試練である。少しでも余分なものは取り除いて負担を軽くしなくてはならない。移植が枝を落として行われるのはそのためである。あるがままのものをあるがままの姿でそっくり移すというのは、ことばの上だけならばともかく、実際にはきわめてむずかしい。
 では、そういう困難をおしてまで移植する必要がはたしてあるのだろうかということになるのだが、よそに咲いている花が美しいということになれば理屈抜きでほしくなる。そこでいちばんてっとりばやい方法は、一枝手折ってきて花びんに生けておく手である。しかし、一時は美しくても、こういう花の命が短いのは当然である。われわれの最も多くお目にかかる外国文化の紹介は、この手の生∵け花的なもので、移ろいやすい。日本には昔から、桃くり三年かき八年ということわざがある。植えてもすぐ実がなるものではないという教訓である。外国の文化を紹介しようとしている人が、この程度のことを、文化の移植に関して考えていないとしたら奇妙なことである。それはおおげさにいえば移植の美学ともいうべきものだが、そういう関心が欠けていて、外国の文化がどうのこうのというのは、とにかく外国からものを買ってきて、上等の品物であると得意になっているようなものである。日本独自の文化が育たないのはむしろあたりまえのことであろう。移植した木が、根もおろさず新芽も出さぬうちに、もう次の木をすぐ隣に移してくる。八年はおろか三年も待っていては時代に遅れてしまうように思う。しかも、移してくるものが、申し合わせたように花盛りのものばかりときている。こういうものは、新しい土壌に根づいて、新しい花をつけるまでに、特別に長い時間を要するはずである。それを待つほどわれわれは気が長くない。性急に次の花に手を出す。これではいつまでたっても大木は育つまい。
 明治以来、わが国はずいぶん無理な文化移動を重ねてきた。移植の美学などにかかわりあっていられなかったのはいたしかたもないことであろう。しかし、これを全部不毛なりと決めてしまうのはどうであろう。島国という文化風土は、外来のものをなかなか受け入れない性格を持っているといわれる。百年にわたる欧米文化の摂取によって、地味もだいぶ変わってきた。欧米から移されてくるものにもいくらかなじむようになっている。これまでに移植されて、もうだめかと見放されている木の中からも、ひょっとすると、そろそろ新しい芽を出すものが現れるのではなかろうか。なんでもかんでもだめだという絶望こそ、植物を立ち枯れさせる有害な病気である。
 ユネスコが明治以降のわが国における翻訳についての調査をするらしい。この調査も、これまでの移植のあとをもう一度振り返ってみて、どの木がよく育ち、どれが枯れたかを調べようとするものだとも解される。おもしろい仕事である。大がかりな調査はともかく、われわれ個人としてもよく考えてみるべき問題であろう。

(外山滋比古しげひこ「日本語の個性」)

○■ / 池新