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課題集 ライラック3 の山

○自由な題名 / 池新
○家、自己主張の大切さ / 池新

★門松がとれて / 池新
 門松がとれてまもない日曜日、娘は庭でなわとびをしていて、白鳥がすぐそこの東の山に舞いおりるのを見つけた。まっ白い鳥だから、白鳥といってまちがいではないけれども、童話に出てくるあの白鳥ではない。白サギである。
 そういうと娘はちょっぴりがっかりしたようだったが、図鑑を持ちだしてきて調べはじめた。「サギの仲間」のページをひらき、松のこずえに翼を休めている白鳥と見くらべている。
「頭にチョンチョリンがないから、コサギでもアオサギでもないわ。チュウサギかチュウダイサギよ。かたちがそっくりでしょう。」
 なるほど、そのどちらかである。二羽いて、松のこずえに巣のあることがわかった。どうやら、カラスの古巣を占領したらしい。たんぼや小川の水がすっかりかれてしまったので、小さな池のあるその山へ引っ越してきたのだろう。
 そういえば、十年ほど前にも、ひとつがいの白サギがその同じ場所に冬のあいだ住んでいたことがあった。娘は幼かったので忘れてしまったのか、それとも彼女が生まれる前だったろうか。
(中略)
 サギの寿命がどれほどか私は知らないが、こんどきた白サギは十年前のサギではなく、その子供たちか孫たちであろうか。いずれにしても、十年ぶりの白鳥の再来である。
 私の娘はその白鳥のことを人にうっかりしゃべると、わんぱくどもに石でも投げられて、鳥が山を去ってしまうのではないかと恐れているのだった。そして、宝物をそっと小箱にでもしまいこむように、自分だけの秘密としてながめていたい。私にしても同じ気持ちである。
 しかし、白サギを小箱にしまうわけにはいかない。まっ白な鳥が空を飛ぶのだから、近所の人はだれも気がついている。そのだれもが、気づいていて、知らんふりをしている。自分だけが知っている秘密だと思いこみたいのである。
 ある日、妻が道に出ていると、幼稚園に行っている近所の男の子が顔をまっかにして走ってきて、息をはずませながら妻にいった。
「ぼく、いま白鳥にさわっちゃった。ほんとだよ。でも、おばさん、ないしょだよ。白鳥のこと、ぼくしか知らないんだから。」∵
 その話を私にした妻は、しかしこのことは娘には黙っていましょうよといった。娘に話せば、彼女が自分だけの秘密をとられたようにがっかりするだろうからというのである。娘にすれば、白サギにちょっとでもさわってみたいと、どんなに願っていることだろう。
 ところが、娘がひとりで白サギをそっと見にいったある日、猫に追われて妙な鳴き方をして彼女の前へ山から走り出てきた一羽の小綬鶏を猫から救ったのだった。
「びっくりしちゃった。あんなことってほんとうにあるのね。わたし、小綬鶏を助けてあげたのよ。でも、これもほかの人にはないしょ。」
 その日から娘は、小綬鶏に与える一握りの米をかくし持って、白サギと小綬鶏を見に、そしらぬふりをして山へ出かけていくようになった。命を助けてやった一羽の小綬鶏も、彼女の秘密にくわわったのだ。
 やがてその小さな山に、小綬鶏たちがめざましい声でさえずる春が訪れる。私が徹夜の仕事を終えて外をのぞくと、まだだれもが眠っている夜のしらしら明け、母親鳥を先頭にひなたちが一列に並び、しんがりを父親鳥がうけたまわって、小綬鶏の一家が道を散歩している姿を見かける。その季節には白サギの夫婦は山を去っているだろう。
 だが今年は、私の住む町の近くに、彼らのもどっていく水田があるだろうか。わずかに小綬鶏たちが住みついている東のちっぽけな山も、市の保存林としての期限が数ヵ月後には切れる。それを知っているから、わが家の近所の人たちはおとなも子どもたちも、十年ぶりに山にやってきた二羽の白サギを、ひっそりとながめているのかもしれない。それぞれの夢を白鳥に託しているのである。

佐江さえ衆一『それぞれの白鳥』)

○■ / 池新