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課題集 ライラック3 の山

○自由な題名 / 池新
○ゴミ / 池新

★イギリス人は、なぜお茶に砂糖を / 池新
 イギリス人は、なぜお茶に砂糖を入れるという、とんでもないことを考えたのでしょうか。
 はじめの理由は、こうだったはずです。まだシェイクスピアが生きていた十七世紀のはじめごろであれば、砂糖も茶も薬屋で扱われる貴重な「薬品」でありました。したがって、病気でもないのにそんなものを用いるのは、貴族やジェントルマンといった高貴な身分のあかしのためか、大金持ちの貿易商人などが、みえをはってのことでしかありませんでした。つまり、茶や砂糖は、「ステイタス・シンボル」だったのです。
 とくに、このころからだんだん豊かになってきた商人たちは、自分たちの財力を誇るために、ぜいたくをほしいままにしましたから、その上の社会層にあたる貴族やジェントルマンたちは、それ以上にぜいたくな生活をしてみせなければ、体面を保つことができなかったのです。このような派手な消費生活の競争は、邸宅の建て替えやファッションの面ではなはだしかったのですが、十七世紀のはじめに、ジェイムズ一世が身分によって消費生活を規制する法律を全廃してしまうと、ますます競争が激しくなりました。
 しかもこの時代には、アントウェルペンなどの国際的な市場から、アジアやアメリカ、アフリカなどの珍しい商品が輸入されはじめましたから、貴族やジェントルマン、豊かな商人たちは、競ってこうした「舶来品」を使っていたのです。外国からきたもの、とくにアジアやアメリカからきたものは、高価だっただけに、何でも「ステイタス・シンボル」になりやすかったのです。タバコでさえ、はじめは上流階級のしるしとして利用されたくらいです。なかでも、茶や砂糖はその典型でした。
 ですから、紅茶に砂糖を入れれば二重の効果が期待できるわけで、これはもう文句なしの「ステイタス・シンボル」になったはずなのです。じっさい、十七世紀のイギリスの料理では、ありとあらゆる種類の香料をふりかけるのが大流行となりましたが、これも、香料が同じ重さの銀と同じくらいの値段だといわれたからこそ、つまり「ステイタス・シンボル」であったからこそ、なのです。つまり、紅茶に砂糖を入れたのは、いまの日本でも、味がよくなるとはとうてい思えないのに、上等の日本酒に金箔を入れて飲む人がいたりするのに、多少似ているのかもしれません。
 先にもふれたように、イギリスでは、お茶を飲む習慣は、どこよ∵りも王室からはじまりました。十七世紀中ごろのイギリスでは、オリヴァー・クロムウェルをリーダーとするピューリタンとよばれた人びとが革命を起こし、政権を握りました(ピューリタン革命)。その革命を逃れてフランスに亡命していた前国王の息子チャールズが、一六六〇年に帰国して国王チャールズ二世となりました(王政復古)。ところが、彼の妻となったキャサリンといえば、ポルトガル王室の出身で、インドのボンベイという島を、持参金としてイギリスにもたらしたことで知られています。しかも、お茶を飲む習慣も、彼女がイギリス王室にもちこんだものといわれています。アジアと関係が深かったポルトガルでは、すでに王室でお茶を飲む習慣があったといわれ、キャサリンはイギリスでも同じことをはじめたわけです。
 だから、イギリスでは、お茶を飲むことは、王室で行なわれている「上品な」習慣ということになり、とくに貴族やジェントルマン階級の女性たちに、もてはやされることになったのです。当時の貴族は、連日のようにパーティーをくり返していましたが、二次会になると男女が別々になるのがふつうで、男性たちが深酒を重ねて酔いつぶれるのに対して、女性たちは、お茶を飲みながらゴシップに花を咲かせるのが通例だったといわれています。
 いずれにせよ、ティー・パーティーは「上品な」ものということになりましたから、東インド会社も抜け目なく、毎年、新茶を王室に献上し、「王室御用達」の茶、王妃も貴族の夫人たちも飲んでいるお茶、としてひろく宣伝に利用したといわれています。
 けっきょく、茶と砂糖という二つのステイタス・シンボルを重ねることで、砂糖入り紅茶は「非の打ち所のない」ステイタス・シンボルになったのです。

(川北稔「砂糖の世界史」)

○■ / 池新