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課題集 ライラック3 の山

○自由な題名 / 池新
○心 / 池新
★ゴミ、長所と短所 / 池新

○母の死後、半年ほどすると / 池新
 母の死後、半年ほどすると、姉に縁談が起こった。姉も好意を持っていた人で、話はすぐにきまり、挙式は一周忌がすんでから、ということになった。
 自分の姉でしかなかった姉を、ぼくはあらたまった気持ちで、見なおすのであった。兄となるべき人も、家へ遊びに来るふうになって、三度に一度は、ぼくを加えた三人で、郊外へ散歩に行ったり、映画をみに出かけることもあった。その人と二人で居る時は、ぼくはその人に好意を持ったが、姉が加わると、心の底にきっと沸いてくる、悲しさに似た感情を、ぼくはどうにも出来ずに居た。
 嫁入り道具が、日増しにそろって行った。
 姉が一時に大人びて映り、まぶしく見えることもあった。母の死が別離の日の悲しみや、父と共々この家に取り残されるさびしさに変わって、激しく胸を打たれる日もあった。
 ある日曜日の午後であったと思う、ぼくは姉と親せきへ行った。その帰りみちに、姉が何気ない風にいった。
「節ちゃん、あたしが居なくなっても、さびしくない?」
「――」
 ぼくはだまっていた。
「お父様だって、お困りになるわね」
 しばらく間を置いて、姉は思い切ったように、言葉をつづけた。
「あたし、節ちゃんに相談があるの。――鵠沼の、桂おばさま、ね、知ってるでしょう?」
「知ってるよ」
 突然のことで、姉が何をいおうとするのか、ぼくには分からなかった。桂おばさまというのは、死んだ母の遠縁に当たる、母より三つ四つ若い、美しい人であった。前にもいったが、母が逗子で療養しているころ、つき切りに看病をしてくれた人だ。結婚して二年ほどで、夫に死に別れた、ということはそのころから聞いていた。
「桂さんに、――あたしの代わりに、家へ来ていただいたらと思ったの。お父様に話したら、節雄がよければ、っておっしゃるのよ」
 ドキンとした。みんな、自分をかわいがってくれる人は行ってし∵まって、お体裁に、代わりの人を置いてゆこうとしている。――そんな気もした。
「ぼく、いやだ」
 そういえば、桂さんはこのごろ、二三度家へ遊びに来ている。自分には何もいわず、みんなでそんな事を進行させていたに違いない、――そんな風にも想像した。
「このこと、あまり突然だから、あなたにはのみ込めないかも知れないけど、あたしがお嫁に行ってしまったら、お父様だって随分お困りになるし……」
「お父様は勝手に旅行してればいいさ」
 ぼくはすげなくいい切った。姉はさびしそうに、そのまま黙った。

(永井龍男「胡桃割り」)