昨日795 今日1186 合計157802
課題集 ヌルデ3 の山

○自由な題名 / 池新
○お父さんやお母さんと遊んだこと / 池新
○私の好きな日、バスや電車に乗ったこと / 池新

★私はそのまま / 池新
 私はそのまま健二郎君の母親と一緒に犯人の三人組を連れて農家の主人のところに詫びにいくことにした。健二郎君の母親はいったん家に戻ってエプロンをはずし、子供たちのジャンパーを持ち、自分は薄いオレンジのカーディガンを羽織って出てきた。心配で肩をすこしすぼめ、二人の息子の手をひいた若い母親のオレンジ色の背中が外灯の明りのなかでさびしかった。そしてそのときふいに私にはその小さな背中がまったくもって場違いながらもおそろしいほどなまめかしく見えてしまったのでもある。
 その畑の主は、仕事のあとの早い風呂に入ったばかりでひたいや頬のあたりを気分よくほてらせていた。手拭いでごま塩の頭をごしごしとかきながら、
「そりゃあなあ……」
 と喉の奥でかすれるような太くてひくい声で言った。「そりゃあなああんた、作物というものはこしらえているものにしかわからねえものですからね……」と、その老人はなんだか判じもののようなことをゆっくりした口調で言った。
「本当に申しわけありませんでした……」
 と健二郎君の母親は相手が言い切らないうちに深々と頭を下げ、それから嗚咽するように頭を下げたままくっくっと肩のあたりをふるわせていた。
 それを見ながら私はすこしいらだってきていた。いくら大変なイタズラだといっても、なにも自分たちの息子がその畑を二度と使えなくしてしまうようなとてつもない大打撃を与えてしまったわけではないのだ。その気になるなら相手の言う値でそっくりこちらが芋を買い取ってしまえばそれはそれでとりあえず話は済むことではないか、何もそこまで、決定的に卑屈になり、ひれ伏すこともないじゃあないですか、と、その時私はよっぽど大きな声でそんなことを言ってしまおうかと思ったのである。
「まあしかし……」
 と、農家の主は太くてひくいしわがれた声を出した。「まあしかしね、これでまあそちらさんのほうでもすこしはわかってくれるん∵ならいいんですよ……」と、そのごま塩頭は言った。そして結局掘りだした芋の半分を先方が引き取り、残りの芋を、私たちが買い取る、ということで話はまとまった。
 空腹なのと寒いのと、それからどうも自分たちのしたことがあまりいいことでもなかったようだということがよくわかってきたのか、帰りの道は珍しく三人とも神妙に黙りこみがちであった。
 健二郎君の家の前にきたとき、私は思い切って「この芋は全部うちで買いますからそちらは結構ですよ。ただしあれだけの量はちょっと食べきれませんのでお芋の方は半分ぐらいは食べてくれませんか」と言った。
「そんな……」
 と、健二郎君の母親は娘のように眼を丸くして言った。
「いやいいんです」
「でも、そんなことはできません。やっぱりこれは……」
「いや本当にいいんです。とにかく今度のことはこちらの気の済むようにさせて下さい。それに今日はもう遅いから……子供たちもおなかがへってますし……」私は必死になって私の提案を押し通した。母子家庭の、おそらくきっともう何年も続いているのだろうそのつましい生活に対してすこしでも力になれれば、という気負いが私の中にあった。


(椎名誠「がく物語」)