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課題集 ヌルデ3 の山

○自由な題名 / 池新
○野山に出かけたこと / 池新


★ぼくは、とりのこされたように / 池新
 ぼくは、とりのこされたように一人、奥の座敷にすわっていた。おばあちゃんがお棺に入り、ふとんがかたづけられてしまっても、その部屋にはなんとなく、まだおばあちゃんの気配が残っているようで、ぼくは、せつなく、そしてちょっぴりこわいような気分だった。
 カバンの中から、持ってきたマンガをだして読んでいても、あまり身が入らない。耳をすますと、表座敷のかすかなざわめきがきこえて、いよいよぼくだけが一人ぼっちだという気になってくる。
 どれほどしたころだったろう。座敷の前の長い廊下を、ヒタヒタと歩いてくる小さな足音がきこえた。
 昌一がきたのだろうと思って、ぼくはいそいで、座敷のふすまをひきあけた。
 だが、そこにはだれもいないのだ。うす暗い電球が三つ天井からぶらさがる、長い廊下はシンとして、たまらなくさびしかった。
「なんだ、そら耳かあ。」
 ぼくは、わざと大きな声でいって、乱暴にふすまをしめた。
 そして、座敷の中をふりむいた瞬間、アッと息をのんだきり、うごけなくなってしまった。
 いつのまに入りこんだのか、小さな男の子が一人、ちょこんと仏壇の前にすわっていた。
 ぼくは、頭の毛が逆立つような気がして、背中がゾクゾクと寒くなった。それでも、頭の中では必死に考えていた。
「裏庭から入ってきたのかな……。」
 裏庭に向いた障子戸はあいかわらず半分開いたままだった。ちょうどそのとき、ものすごいような春の風が庭にあふれたかと思うと、桜の花びらが暗い闇の中で、グルグルと渦まくように踊るのが見えた。
 小さな男の子は、あたりまえのような顔をして、座敷の中にすましてすわっている。たぶん、まだ小学校にもあがっていない、ぼくより五つ、六つも年下の子のようだった。
 いがぐり頭の下の大きな目で、じっとぼくを見あげてだまっている。白い半そでの開襟シャツに、紺色のごわごわした半ズボンをは∵いて、正座した膝の上に、両方の手をきちんとそろえているのだ。
 自分のほうがずっと年上だと気づいて、ぼくの気持ちはいくらかおちついてきた。きっと、だれかおとなについてお通夜にやってきた子供が、たいくつになって、歩きまわっているうちに、裏庭から座敷にあがりこんでしまったのだろう。迷子になって、こまっているのかもしれない。
「坊や。お母さんは?」
 ぼくはやっと、そうたずねた。
 そのとたん、その子がにやりとわらった。おちつきはらって、人をばかにしたような笑いだった。
「おい。」
 その子がいった。
「オレが、ついててやる。だから、心配はいらんで。」
「え?」
 ぼくは、ぽかんとしてききかえした。こいつは、なにをいってるんだろう。おばあちゃんをなくしたぼくをなぐさめるつもりなんだろうか。びっくりしているぼくに向かって、その子はしゃべりつづけた。
「おまえな、もうじき、ここに住むようになるぞ。でも、心配すな。オレがついとるから。」
 みょうにおとなびた口ぶりでそれだけいうと、その子は、もう一度大きく口をゆがめてわらった。
「きょうは、それだけいいにきたんや。」
 そういって、ツイと立ちあがったその子が、ふすまをあけて廊下に出ていくのを、ぼくはあっけにとられてながめていた。ふすまは、ぼくの目の前でぴたりととじられ、また廊下を、ヒタヒタと足音が遠ざかっていく。


(富安陽子「ぼっこ」)