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課題集 ズミ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎土 / 池新

★所詮は卵や雛の / 池新
 所詮は卵や雛の段階でしかない未熟な才能を過信し、それに頼り過ぎることであっけなく自滅の道を辿ってしまった小説家や詩人は枚挙にいとまがない。ために、それが芸術家の王道であり、それが本物の証であるとする誤った固定観念が広まり、また、そうした安易な生きざまの周辺に漂う甘さに共鳴する風潮が幅を利かせて、わが国の救いがたい、進化とも、深化とも一切無縁な「文学の青枯れ病」を招くに至ったのである。
 かく言う私の場合だが、小説家のレッテルを貼られた二十三歳の時点で、自分の才能がせいぜい卵の段階でしかないという認識をきちんと持っていた。磨いて育てないことにはたちまち行き詰まってしまうだろうという確信を抱いていた。そう受け止めることができたのは、当時、大御所と呼ばれている既成の書き手たちの才能が飛べる鳥の域にまで達していたからではない。むしろその逆で、文学愛好家と関係者たちが飛べない鳥を眺めて満足しているのかと思うと、ひどく失望したことを未だに生々しく記憶している。
 ペンを握ったときから、翼を育てなければ飛べない世界が無尽蔵に存在することに気づいていた。それこそが文学の世界に違いない、本物の魅力を秘めた高みを滑空してみたいという一心から、何十年費やしても、いつの日かきっと飛んでやると意を決し、挑みつづけてきた。少しずつではあっても確実に力がつき、以前なら絶対に不可能だった世界に手が届くようになってゆく喜びは何物にも代えがたく、その醍醐味と達成感に酔い痴れることが書く動機として固まっていった。
 四十代後半に狙いをつけた長編小説があった。テーマも構想も充分だったが、敢えて書かなかった。なぜなら、その大空を飛翔するだけの翼の力がそなわっていないという自覚があったからだ。つまり、当時の文章力では歯が立たない超大物だったのだ。それほど手ごわい相手には、とてつもない表現力が必要不可欠であるということをよくよく承知していた。∵
 それは、絢爛たる言葉によって紡がれた時代絵巻の世界だった。日本が最も日本らしく、底抜けに自由で、生き生きとしていた室町時代を背景に、かの有名な「日月山水図」の屏風絵と、それを描いた作者が不詳であることを想像の起爆剤に用い、極めて大胆な発想によって、小説の原点とも言うべきめくるめく物語を構築し、かつてどの書き手も為し得なかった形式と、漢語と大和言葉との融和を図る文体を存分に駆使しなくてはならない、新境地だった。六十代に入ってまもなく、今ならそれが書けるという自信を得た。
 心のひだを丹念に描いてゆく、ちまちま、こせこせした小説も、それはそれでわるくはないのだが、そうした作品の対極に位置するぶっ飛んだ小説を、原始的で、呪術的で、異常なまでの吸引力を秘め、それでいながらどこまでも格調の高い大叙事詩のごとき長編小説を無性に書きたくなった。膨大な資料を読みあさり始めたのが二年ほど前だった。そして、昨年の暮れに千三百枚を脱稿した。
 最後の一行を書き終えたとき、信じつづけてきた小説家としての基本姿勢に間違いないことが静かな興奮となって襲ってきた。あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年の助走であったということが実感された。
 だが、その喜びも束の間だった。今はもう新たな大空を目指して、没頭と継続の日々を送っている。飛んでも飛んでも尽きることのない文学の天空は、もしかするとこの宇宙より広いかもしれないと、そう思いながら。

 (丸山健二「尽きない文学の天空」による)