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課題集 ズミ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎風 / 池新

★文学作品や評論のようなものを / 池新
 文学作品や評論のようなものを読んで、文章が読める、というのは、いわば、錯覚である。科学、技術などの文章はほとんど読んだことがないから、詩を読むようなつもりで、マニュアルを読むという誤りをおかして平気でいられる。マニュアルを読むには、小説を読むのと違った頭のはたらきが必要である。それをことばの専門家でもご存じないらしいことを暴露したのが、さきの評議員会の雑談である。学者、評論家といわれる人たちのことばの教養を疑わしめる、情けないエピソードである。
 未知のこと、ほぼ完全に未経験なことがらをのべた文章というものは、読み手にとって暗号のようなものである。ざっと一読してわかるように考えたら大違いである。想像力をはたらかせ、筋道を見つけ、意味を判断するという高度の知的作業が求められる。昔の人は、そういうとき「読書百、意おのずからあらわる」と言ったが、百くりかえしてもわからないものはわからない、ということがすくなくない。ましてや、自分の教養、知識をハナにかけて、読んでわからないと、文章が悪いからだと言うのは、思い上がりである。
 知らないことを文章で知るのは、マニュアルに限らず、つねに困難である。早い話が、知らない人に、自宅までの道順を、うまく文章で伝えられる人は相当なことばの達人である。ことばで説明してあっても、訪ねてくる人は道に迷う。この場合、教える側の言い方がわるいということもあるが、それを読む人の勘も悪いのである。
 (中略)
 戦後、アメリカにならって、所得税が自己申告になった。毎年、三月十五日までに、年間の所得の確定申告をしなければならない。この書き方が難しい。書き方の「手引き」がわかりにくい、と文筆家や大学教授たちが非をならした。税金をとられるのがおもしろくないところへもってきて、申告書の書き方がわからない。手引きの説明もわからない。それが読めないと白状するのは知識人のプライドが許さない。口々に税務署の手引きが不親切だと騒ぎ立てた。
 実際、税務署の手引きがあまり上等でなかったらしく、方々で槍玉にあがって、苦心したのであろう。だんだん改善され、数年たつと手引きに対する悪評は聞かれなくなった。もちろん表現がよくなったこともあるが、納税者がそういう文章の読み方に馴れたということが大きかったと想像される。∵
 もともと、わかり切ったことなど、読んでも役に立たない。わかっているものを読んでおもしろいのは別の頭のはたらきである。
 未知のものを読んでわかってこそ、はじめて、ものを読む甲斐があるというものであるが、本当は、わからないことを書いてある文章を読んで、わかるというのは大変困難で、わかれば幸運といったくらいのものである。そういうことを一度も考えずに、自分はものが読めるように考えるのは誤っているが、それに気づかない。
 われわれは、すこし間違った、あるいは、おくれた読み方を身につけてしまっているのかもしれない。真に文章、ことばを読むということは、どういうことか。どうすれば、そういう読み方ができるようになるか。われわれは、一度も真剣に考えたことがない。一度もいわゆる読書ということに疑問をいだかない教育をうけて、知識人、ホモサピエンスのように考えているとしたら、すこし滑稽ではないか。

 (外山滋比古しげひこ『読みの整理学』による)