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課題集 ジンチョウゲ3 の山

○自由な題名 / 池新


○いずれにせよ彼は / 池新
 いずれにせよ彼は室内に閉じこもって三十七年を過ごした。髪は母が切ってやっていたらしい。母親へ、医者に診せようと考えたことはないのかと尋ねてみると、八十歳を越えたのにかくしゃくとしている老母は、いささか焦点のずれたことを言うのだった。「いえいえ、とても人さまにお見せできるような息子ではございませんでしたので」。
 そんな彼が鑑定を受けるに至った経緯は煙草であった。煙草の火の不始末から火事を起こし、母子は焼け出されてしまった。そのときに彼はパニックに陥り大声を上げて暴れ回ったらしい。そのために、警官が保護をして鑑定へつなげたのである。
 それにしても驚くべきは、彼らの家が若者たちの集まる有名な繁華街の中にぽつんと紛れ込んだ木造の古い一軒家だったことである。わたしは、実はその家を目撃した覚えがある。よくも地上げ屋などに抵抗して家を維持しているものだと思ったし、何だか暗くて不気味な家だなあとも感じた。その印象は、まさに図星だったのである。
 彼が三十七年間も逼塞していた事実を、そしてそんな息子と一緒に暮らしていた母のことを考えると、これはひとつの不幸であると感じざるを得ない。が、本当に不幸と言い切れるのだろうか。
 彼らには棲む家もあったし、仕事をしなくとも暮らしていける程度の金銭的余裕もあった。身体的な病気にもかからずに済んできた。彼らは変化を望まなかっただけである。現状維持こそが幸福と捉えていた。いや幸福とは思っていなかったかもしれないが、だから何かをするといった意志はなかった。
 精神科医の立場で老若男女たちと毎日接していると、実に多くの人々が「変化」を嫌うことを知る。なるほど口では現状を手放しで肯定したりはしない。不平不満だらけである。夢を持つことと努力こそが大切だ、といった類のことも語る。だが、実際には何もした∵がらない。
 何かをすれば、ベターとなることもあれば逆によけいひどい結果をもたらす可能性もある。何かをすること自体が、たとえ最終的には良い結末をもたらそうとも、多かれ少かれ面倒な出来事を出来しゅったいさせる。そうしたことにいちいち対応しなければならない。予期せぬこと、厄介なこと、後悔することも出てこよう。
 それなりのリスクや疎ましい副産物があろうとも、ともかく変革を求めようと考える人は少数派なのである。精神的にタフな人間であり、そういった人々の行動は決してスタンダードではない。大多数の人々は、あれこれと考えているうちに面倒になってしまう。不満はあっても、現状に対してとりあえず慣れ親しんでいると、変化の訪れはむしろ億劫となる。今がベストではないけれども、変化はもっと疎ましい。
 ぬるま湯に浸かっているのも現状に甘んじているのも不幸に安住しているのも、変化を嫌うといった点では同じである。そしてユートピアでの暮らしも。
 変化に喜びや充実感を覚える心性ももちろんあるが、それはあくまでも精神的なタフさを前提としているのであって、もしかすると変化や変革に価値を置く発想は健康で丈夫な人間ゆえの鈍感さや残酷さに通じてさえいるのかもしれないのである。

(春日武彦『幸福論』)

○■ / 池新