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課題集 ゼニゴケ3 の山

○自由な題名 / 池新
○クリスマス、おおみそか、お正月 / 池新
★ベンチャー、宗教 / 池新

★ラテン語で / 池新
 ラテン語でdivide et imperaというのがある。英語に訳すると、divide and ruleの義だという。すなわち「分けて制する」とでも邦訳すべきか。なんでも政治か軍事上の言葉らしい。相手になるものの勢力を分割して、その間に闘争を起こさしめ、それで弱まるところを打って、屈服させるのである。ところが、この語は不思議に西洋思想や文化の特性を剴切に表現している。
 分割は知性の性格である。まず主と客とをわける。われと人、自分と世界、心と物、天と地、いんと陽、など、すべて分けることが知性である。主客の分別をつけないと、知識が成立せぬ。知るものと知られるもの――この二元性からわれらの知識が出てきて、それから次へ次へと発展してゆく。哲学も科学も、なにもかも、これから出る。個の世界、多の世界を見てゆくのが、西洋思想の特徴である。
 それから、分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。すなわち、力の世界がそこから開けてくる。力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。高い山が自分の面前に突っ立っている、そうすると、その山に登りたいとの気が動く。いろいろと工夫して、その絶頂をきわめる。そうすると、山を征服したという。鳥のように大空を駆けまわりたいと考える。さんざんの計画を立てた後、とうとう鳥以上の飛行能力を発揮するようになり、大西洋などは一日で往復するようになった。大空を征服したと、その成功を祝う。近ごろはまた月の世界までへも飛ぶことを工夫している。何年かの後には、それも可能になろう。月も征服せられる日があるに相違ない。この征服欲が力、すなわち各種のインペリアリズム(侵略主義)の実現となる。自由の一面にはこの性格が見られる。
 二元性を基底にもつ西洋思想には、もとより長所もあれば短所もある。個個特殊の具体的事物を一般化し、概念化し、抽象化する、これが長所である。これを日常生活の上に利用すると、すなわち工業化すると、大量生産となる。大量生産はすべてを普遍化し、平均にする。生産費が安くなり、そのうえ労力が省ける。しかし、この長所によって、その短所が補足せられるかは疑問である。すべ∵て普遍化し、標準化するということは、個個の特性を滅却し、創造欲を統制する意味になる。それから「ドゥー・イット・ユアセルフ(自分でおやりなさい)」式の未完成家具や小道具類ができて、それがかえって、今まで省けた労力を消耗することになる。ある意味で創作力の発揮になるものが、きわめて小範囲を出ない。つまりは機械の奴隷となるにすぎない。思想面でも一般化・論理化・原則化・抽象化などいうことも、個性の特殊性、すなわち各自の創作欲を抑制することになる。だれもかも一定の型にはまりこんでしまう。どんぐりの背くらべは、古往今来、どこの国民の間にも見られるところだが、知性一般化の結果は、凡人のデモクラシーにほかならぬ。
 東洋民族の間では、分割的知性、したがって、それから流出し、派生するすべての長所・短所が、見られぬ。知性が、欧米文化人のように、東洋では重んぜられなかったからである。われわれ東洋人の心理は、知性発生以前、論理万能主義以前の所に向かって、その根を下ろし、その幹を培うことになった。近ごろの学者たちは、これを嘲笑せんとする傾向を示すが、それは知性の外面的光彩のまばゆきまでなるに眩惑せられた結果である。畢竟ずるに、眼光紙背に徹せぬからだ。

 (鈴木大拙「東洋文化の根底にあるもの」)