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課題集 ゼニゴケ2 の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

★(感)周知のように / 池新
 【1】周知のように明治以降わが国でも、この園遊会方式が積極的に採り入れられた。かつての鹿鳴館ろくめいかんの夜会、今日の皇居における園遊会がそれにあたる。そしてむろんそのような形式は、一般にホテルや会館などでおこなわれる各種の立食パーティーに受けつがれ、少人数のホームパーティーや交歓会にまで及んでいる。
 【2】だが、そのような園遊会の方式は、はたしてわれわれの深層の意識までをも変えてしまったのであろうか。かならずしもそのようには思われないのである。さきに私は、かつてわが国の饗宴の核は正客を中心に列座のものが全員手を打ちそろえて、一つの歌をうたうところにあるだろうということをいった。【3】手を打ちそろえることが「うちあげ」であり「うたげ」だったのだといった。宴はあくまでも正客を中心にすすめられ、その正客と主人のあいだに交わされるダイアローグを大きな流れの核として進行していく。【4】そして列座のものが手を打ちそろえることで、その宴の場に中心が形成される。列座のものたちの心がその中心にむかって統合されていくといってよいだろう。そのとき遊びの気分が昂揚し、遊びごころが調和のとれた安定感をうるのである。
 【5】私はさきに、日本の芸能が大道芸から庭芸へ、そして、庭芸から座敷芸へと展開し、しだいに洗練されていったということをのべたが、それは遊びの構図を考える場合にも参考になるだろう。【6】すなわち遊びの空間もまた広い世界から局限された場にしだいに移行していく過程で洗練されていった、というように――。
 饗宴の本質がもしも正客を中心とする「うちあげ」の機能にあるとすれば、遊びの諸要素がその中心にむかって収斂していくのも不思議なことではない。【7】その収斂と凝縮のはてに遊びのクライマックスがやってくる。その求心的な姿勢のなかに遊び心が蘇るといってよい。さきに休日の問題にふれて、家を空にすることへの罪責感のような感情を問題にしたけれども、それもいまいった求心的な姿勢と関係があるかもしれない。【8】中心から外れていくことが、その人間を何となく不安にさせるのである。
 これにくらべるとき、園遊会がそれとは逆に拡散と開放のなかに遊び気分を盛りあげようとする方式であることが明らかになる。【9】そこにはむろん、正客がいないわけではない。正客を迎える主人の∵側の趣向がこらされていないわけでもない。しかしながらその正客も主人も、その園遊会の大きな流れのなかでは遠心的にはたらく人びとの動きからのがれることはできない。【0】正客と主人のあいだの対話は、まさに離合集散する会話の流れによって分断され、その重層する渦巻きのなかにのみこまれていくほかはないからである。
 こうして私は、ヨーロッパの饗宴は遠心力の機能にもとづいて演出されてきたのにたいし、わが国の「うたげ」の伝統は、いまのべたようにむしろ求心力の作用を前提に発想されたのではなかったかと思う。とはいっても、もちろんヨーロッパの園遊会や饗宴の席に儀礼的中心がまったく存在しなかったというのではない。同様にして日本の「うたげ」のなかに拡散や開放の契機やエネルギーがみられないわけでもない。そもそも乱痴気騒ぎや無礼講は、洋の東西を問わず遊びや宴席にはつきものだったからである。しかしながらそのような共通性にもかかわらず、さきにのべた饗宴における遠心と求心の対照性は基本のところで動かないのではないだろうか。

(山折哲雄『近代日本人の美意識』)

○I think it was Conrad Hilton / 池新
I think it was Conrad Hilton who first had the idea that travel would be greatly improved if as much of it as possible were spent in familiar surroundings. Faraway places with strange-sounding names are all very well, provided there are scrambled eggs for breakfast, air-conditioning, toilets that work, and people who speak English, even if they speak it with a curious accent. What the weary traveler needs after being up to his neck in foreigners all day is a drink with plenty of ice, a straightforward dinner menu that doesn't require all interpreter, a decent bathroom and a king-sized bed. Just like home.
The Hilton theory was, as everyone knows, a worldwide success. And this was for one very simple reason: even if you didn't always know where you were, you always knew what to expect. There were no surprises. A few touches of local color would creep in from time to time -- mangoes instead of orange juice, waitresses in sarongs instead of skirts -- but for the most part it didn't really matter whether you fell asleep in Tokyo or Mexico City. There was a certain standardization about the board and lodging that provided comfort and reassurance and familiarity even in the heart of the most exotic locations.
If the idea had stopped there -- as one among many travel options -- it would have been fine. Unfortunately, it proved to be so popular that it was adopted by one hotel chain after another, with varying degrees of local camouflage designed to add personality to a multi-national formula. With loud protestations that they were preserving the special character of each hotel they bought up, the new owners standardized everything that could be standardized, from bathroom fittings to color schemes, until the only sure way of knowing which city you were waking up in was to consult the phone directory as soon as you got out of bed.