課題集 ザクロ3 の山
苗
絵
林
丘
○自由な題名
/池
池新
○学校、危機意識
/池
池新
○カウンセリングにおいて
/池
池新
カウンセリングにおいてなにより肝要だとされるのは、相手の言葉をなんの留保もなしに受けとること、まちがっていると思っても反論せずにいったんは言葉をそれとして受けとめることである。そのために多くのカウンセラーは、相手の言葉を確かめるように一言一句反芻する、そのような訓練を受ける。傾聴ボランティアのトレーニングでは、言葉がぱったり途絶え、事態が塞いできたときには、「いま、何考えていました?」と訊き返せばよいと教えられる。がもし、カウンセリングや傾聴がこのように進められるのだとすれば、それは逸らし、でしかない。ここでは、問題が、つまり自他のあいだで生じている齟齬が、それをわたしがどう受けとめるかという、わたしの側の問題に密かに転位されるからだ。問題を生じさせているまさにその原因である事態について問うべきことが、その事態をどう受けとめるかという当事者の「内面」への問いにすり替えられるのである。
カウンセリングや傾聴もまた「待つ」を事とする。言葉を迎えにゆくのではない。言葉が、不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つのである。
しつこく言うが、言葉を迎えにゆくのではない。言葉を迎えにゆくのは、「聴く」のおそらくは最悪のかたちである。
I 三月ごろに人から「もう落ちつかれたでしょう」と言われたことがあったんですが、それになんとも言えないギャップを感じました。震災から二ヶ月後くらいですが、私にとっての時間と、その人にとっての時間は、また意味が違うんですね。
K 日本人はあいさつのときにそういう言い方をする人が多いですね。それで「はい」と言われると、自分も安心できるから。そうすると、そう言われたほうもうるさいから、たいてい「はい」と答えるんですよ。
I 私も言いました。(笑)
K そこでギャップができて、あとの会話が続かないね。
I もうその人には話さんでおこうと思いました。
K そうでしょう? 心のケアとかなんとか言っている人にも、そういう失敗をする人がすごく多い。「どうですか、もうそろ∵そろ」なんて言われると、立ちなおらなければいかんみたいな格好になってくるから、よけいに苦しめる結果になるんです。
I さすがプロだなと思いましたが、なんにも言わずに聞いてくれた人がいましたね。なんにも言わずに聞いてくれることがこんなに大事なのかと、身にしみて感じましたから。
K へたに慰めたりもしない。はじめから元気づけられたってどうしようもないもの。
(河合隼雄『心理療法の現場から(上)』、石川敬子との対談の章より)
聴くということがだれかの言葉を受けとめることであるとするならば、聴くというのは待つことである。話す側からすればそれは、何を言っても受け容れてもらえる、留保をつけずに言葉を受けとめてくれる、そういう、じぶんがそのままで受け容れてもらえるという感触のことである。とすれば、「聴く」とは、どういうかたちで言葉がこぼれ落ちてくるのか予測不可能な「他」の訪れを待つということであろう。
(鷲田清一『「待つ」ということ』)
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/池
池新