昨日523 今日151 合計155015
課題集 ザクロ3 の山

○自由な題名 / 池新
○服 / 池新

○周知のようにギリシア・ローマ神話では / 池新
 周知のようにギリシア・ローマ神話では、ゼウスもヘラも、またアポロやアフロディテ、そしてキューピッドも、それぞれ年齢に応じた肉体をもち、顔をもっている。すなわち女神(ヘラ)、老年神(ゼウス)、青年神(アポロ)、童子神(キューピッド)といったように、かれらは性差や肉体の特徴に即して行動し、その個性的な表情が彫刻や絵画で表現された。それのみではない。それらの想像上の神々は天空に輝く星の群にさえ投影されたのである。同じことは、ヒンドゥー教の神々の場合でもいえるだろう。ヒンドゥー・パンテオンの三大主神といわれるヴィシュヌ神・シヴァ神・ブラフマ神はいうまでもない。かれらの配偶女神や眷属神を含めて多彩な神像群が創造され、そのいずれもが変化に富む個性と表情をそなえているのである。
 かれらはいずれも肉体を付与されているがゆえに、受肉の神々ということができるだろう。受肉(インカーネーション)というのは人間の姿をとってあらわれること、すなわち化身・権化のことをいう。キリスト教では、イエス・キリストが神の子として顕現したことを指す。同じようにヒンドゥー教でも、さきのヴィシュヌ神が人間や動物に姿を変えてあらわれるという、化身(アヴァターラ)の考え方があった。ギリシア神話もヒンドゥー教神話も、その多神教の基礎に神々の受肉=インカーネーションという観念がはたらいていた点で、同血の神話体系を構成していたということができるのである。
 ところがこれにたいして、わが国の神々の形成には、このインカーネーションの契機がはじめから欠けていた。そもそも、神々の姿を人間の身体によって表現しようとする論理を育てることをしなかった。というのも神はまず第一義的には神霊としてとらえられ、空間を浮遊・移動して、森や山や樹木に憑着するものと信じられたからである。古い起源を有する神々の名称に、飛鳥に坐す神とか熊野くまぬに坐す神といった例が多くでてくるが、これは神が姿を隠して特定の土地や場所に憑着し憑依している状態をあらわしているのである。
 神は目に見えない神霊としてとらえられているから、その行動は∵自在である。すなわち神霊は無限に分割されて空間を移動し、各地に鎮座することができる。たとえば全国の津々浦々に分布する八幡神は、もとはといえば大分県の総本家である宇佐八幡の神霊が分割され、空間を移動して、それぞれ憑着したものであった。それを鎮座といったのである。このような日本の神々の性格は、さきのギリシアやインドにおける場合が受肉=インカーネーションであるとするならば、憑依=ポゼッションの機能として特徴づけることができると思う。ポゼッションとは、神が依り憑くという意味である。それは、目に見えない神霊の行動様式をあらわしている。
 日本の神々は本来、その肉体性や個性を表立ってことあげしない存在として伝承されてきた。われわれは記紀神話において、イザナギ、イザナミや、アマテラス、スサノオをはじめとして、かれらがいかなる個性をもち肉体をそなえているかについての情報を、ほとんど与えられてはいない。また、神社に祀られている個々の祭神を呼ぶ場合、たとえば一宮、二宮、三宮……といって、その固有名詞をいわないですますことが多い。たとえば春日大社のように、きちんとした神々の名称があるにもかかわらず、そこに祀られている五柱の神々を一殿でん、二殿でん、三殿でん、四殿でん、五殿でんといいならわしてきた。同様に伏見稲荷の場合も上社、中社、下社といい、伊勢神宮は内宮、外宮で用を足してきたのである。
 このようなことが生じたのは、わが国の神々の世界には、もともとギリシアやインドの多神教のように、受肉の観念がなかったからであると私は思う。自然の背後に身を隠して鎮座する神々の生態は、目に見える多神教とは水準を異にする性格のものであった。あえていえばそこには、受肉を拒否する憑依の観念がはたらいていたといっていいのである。その憑依の観念によって構造化されていたわが国の神々には、その肉体が薄明の彼方に隠れていたように顔がなかった。表情が喪われていたのである。

(山折哲雄『日本人の顔 図像から文化を読む』より)

○■ / 池新