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課題集 ザクロ3 の山

○自由な題名 / 池新
○家、自己主張の大切さ / 池新

○わたしのところに、ときどき / 池新
 わたしのところに、ときどき外国人の建築家がたずねてくる。
 そのおり「せっかく京都にきたのだから」と、どこかに案内しなければならないことがしばしばおきるが、そういうときは、桜のころなら夜の平安神宮に、紅葉のころなら夕暮の円通寺に案内することにしている。
 平安神宮の西神苑の白虎池や東神苑の栖鳳池のまわりの桜がさくときは、それらが池にうつりこんでそれこそ圧巻だ。たいていの外国人は肝をつぶす。
 いっぽう京都の北、幡枝はたえだにある秋の円通寺は紅葉がうつくしい。しかしそのボリュームは平安神宮の桜の何百分の一にもおよばない。
 ところがここには、もう一つべつのものがある。比叡山だ。円通寺の東をむいた客殿の縁にすわると、庭の真正面の深紅の紅葉のあいだから比叡山が聳然しょうぜんと姿をあらわす。とりわけ秋の夕暮は西日にはえていっそう美しい。それをみたほとんどの外国人建築家は、呆然として声もでない。
 円通寺の庭は「借景庭園」としてしられる。
 けっして大きい庭ではないが、庭一面が苔、石でおおわれ、紅葉の木立があり、生垣のむこうには竹藪や灌木がおいしげっていて、さらにそのさきに比叡山がみえる。つまり庭の景物だけでなしに外部世界の風物をもとりいれて一場の眺めとしている。
 もちろんヨーロッパにだって客殿からのすばらしい眺めなどはいっぱいある。しかしそれらはたいてい一望千里のパノラミックな景観だ。円通寺のように生垣や紅葉をはじめとする木立に切りとられて絵のようにみせる、というようなものをほとんどしらない。
 というのも、ヨーロッパ人はいっぱんに樹木にたいする関心がうすいからだろう。明治に日本にきて、古きよき日本文化を再発見したラフカディオ・ハーンも日本の木立の美しさを絶賛し「それは日本人が木々を愛しているからだ」という(『神々の国の首都』)。
 たしかに欧米人の植物にたいする関心のほとんどは花である。樹木のたたずまいや生垣・刈込のデザインなどといったものにはあまり興味をしめさない。∵
 さらにヨーロッパには山というものがすくないから、山もあまり関心をひかない。
 したがって「庭内の樹林と庭外の山などをあわせて一幅いっぷくの絵にする」というような発想はなかなかおきてこないのである。
 その結果、ここに庭の構成要素のなかの「垣」というものにたいする東西の認識の差があらわれてくる。
 というのは、ヨーロッパの庭の垣や塀は、たいてい外の世界と内の世界とを断絶する「壁」でしかない。垣のなかには鉄柵というものもあるが、それらはよういにのりこえられないように高くしてあるか、あるいはしばしば鋭い剣先が天をむいて見る人をドキリとさせる。
 ところが日本では、しばしば灌木で生垣をつくるだけでなく、塀なども板塀やブロック塀などでなく築地塀のようにりっぱにしている。とくに借景庭園のばあいには庭の内と外の景観をつないで一つの風景にする、という大切な役割をもたせ、それによって庭の狭さなどの解消にも役だたせている。つまり「借景垣」だ。
 したがって垣や塀は日本の庭づくりにおいては景観の一部を構成するもので、たいへん重要なものである。江戸後期の俳人の小林一茶(一七六三〜一八二七)もそういう美を見逃さなかった。
冬枯れや垣に結ひこむ筑波山

(上田篤『庭と日本人』)

○■ / 池新