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課題集 ザクロ3 の山

○自由な題名 / 池新
○運 / 池新
★清書(せいしょ) / 池新

○経済学の父アダム・スミスは / 池新
 【1】経済学の父アダム・スミスはこう述べています。「通常、個人は自分の安全と利得だけを意図している。だが、彼は見えざる手に導かれて、自分の意図しなかった公共の目的を促進することになる」。【2】ここでスミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本主義を律する市場機構のことです。資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。
 【3】経済学者の「悪魔」ぶりがもっとも顕著に発揮されるのは、環境問題に関してでしょう。多くの人にとって、資本主義が前提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。環境破壊とは、私的所有制の下での個人や企業の自己利益の追求によって引き起こされると思っているはずです。
 【4】だが、経済学者はそのような常識を逆なでします。私的所有制とは、まさに環境問題を解決するために導入された制度だと言うのです。
 【5】『かつて人類は誰のものでもない草原で自由に家畜を放牧していました。家畜を一頭増やせば、それだけ多く肉や皮やミルクがとれます。草原は誰のものでもないので、家畜が食べる牧草はタダです。【6】確かに一頭増えれば他の家畜が食べる牧草が減り、その発育に影響しますが、自由に放牧されている家畜の中で自分の家畜が占める割合は微々たるものです。それゆえ、人々は草原に牧草がある限り、自分の家畜を増やしていくことになります。【7】その結果、牧草は次第に枯渇し、いつの日か無数の痩せこけた家畜がわずかに残された牧草を求めて争い合う事態が到来することになると言うのです。』
 【8】これこそ「元祖」環境問題です。そして経済学者は、それは、自然のままの草原が誰の所有でもない共有地であるがゆえの悲劇であると主張します。【9】環境問題とは「共有地の悲劇」だと言うのです。
 『事実もし草原が分割され、その一画を牧場として所有するようになると、その中の家畜はすべて「自分の」家畜となります。【0】∵その時さらに一頭飼うかどうかは、その一頭が新たに牧草を食べることによって、牧場内の他の家畜の発育がどれだけ影響を受けるかを勘案して決めるようになるはずです。もはや牧草はタダではありません。他人に牧場を貸したり売ったりする時でも、その中の牧草の価値に応じた賃料や価格を請求するようになるはずです。牧草は合理的に管理され、共有地の悲劇から救われることになります。私的所有制の下での自己利益の追求こそが環境破壊を防止することになると言うわけです。」
 「悪魔」の一員だけあって、経済学者の論理は完璧です(私自身この論理を三十年間教えてきました)。実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排出枠を権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。
 ここでは温暖化ガスが汚染する大気は家畜が食べ荒らす牧草に対応し、各国が売買しうる排出枠は牧畜家が所有する牧場に対応しています。すなわち、それは大気という自然環境に一種の所有権を設定することによって、それが共有地である限り進行していく温暖化という悲劇を解決しようとしているのです。
 では、これで環境問題はすべてめでたく解決するのでしょうか?
 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動しえない共有地を抱えているのです。
 それは「未来世代」の環境です。

岩井克人「未来世代への責任――経済学の「論理」と環境問題の「倫理」――」による)