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課題集 ザクロ3 の山

○ここで一つの例をあげる/ 池新
 ここで一つの例をあげる。今かりに、ある文科系の大学生が卒業論文を書く上で、どうしても高校生の頃に習った数学の因数分解を用いなければならない必要が生じたとする。ところが、彼は文科系の学問ばかりしてきたために、いつのまにかすっかり数学の因数分解を忘れてしまっている。どうするか。彼はおそらく図書館に直行して調べるか、理科系の友人にたずねてみるか、何らかの手段を講じるに違いない。そして、そのようにちょっとした労をとった彼は、すぐに「ああ、なるほど」とうなずくことができるに違いない。なぜかというと、彼の頭の中には高校時代に習った因数分解の基礎的な知識が蓄積され眠っているからだ。それゆえ、一度も数学を勉強したことのない人ならば理解するのに長い時間と労力を要するところを、彼は短時間でさほど苦労せずに理解できるのである。
 このように、脳に蓄積され取り出せない状態にされていた知識は、永遠に取り出せないものではなく、ちょっとした手間ときっかけをつくれば、容易に取り出すことができるのだ。人間の脳に「ゆとり」があるからこそ、それが可能なのである。
 知恵とは、一つはこのような側面をもったものだと思う。私はこれを「知恵の広さ」と呼ぶことにしている。この「知恵の広さ」は勉強しては忘れ、また勉強しては忘れているうちに、自然と脳の中につちかわれていくのである。
 知恵がつくられる場所である人間の脳は、また、コンピューターなどと違って、物事を幅をもってみつめ、考えることができるようにできている。つまり寛容な思考態度をとることが人間にはできるのだ。
 例えば、コンピューターに映画を見させても、彼は鑑賞することができない。なぜなら、一つ一つのコマがバラバラな画面に見え、そこにある連続した動きがコンピューターには見えないからだ。ところが人間は、一つのコマを見てイメージをはっきり残し、次のコマへ移るまでのきわめて短い間を無視し、前のコマのイメージを持続させて次のコマのイメージと重ねることができる。これは人間の脳がある時は敏感に働き、ある時は鈍感に働き、また刺激に対する反応の余韻を残すという特性をもっているからだが、ともか∵くも、人間はそのような不連続なものから連続したものを読みとる能力をもっているのだ。
 人間の脳にあるこの寛容性は、ものを考える上でも発揮される。その一つは連想である。
 文章、特に詩とか格言のようなものを読む時、その中の言葉から連想される異なった言葉を、思いつくまま列記しておくとする。列記された言葉のいくつかを組み合わせて新しい文章をつくってみる。こうしたあとで、もう一度、元の文章を読み直すと、意味の理解が深みと新鮮さをもつものだ。連想は、言葉の意味と感じに幅をもたせてみるという脳の寛容性から生まれる。
 また連想の習慣は、いくつかの異なるものの間に共通点を読みとる脳の働きにもつながる。数学の簡単な例でいうと、円と三角形の共通点は、平面を内側と外側の二つに分割するという性質である。コの字には、この性質はない。八の字は、平面を三つに分割する。実際生活でも、議論をまとめる時に、異なった意見の共通点を発見する能力は大変有用である。
 このように、人がものを考える時は幅をもった考え方をするものであり、またそれでこそ、思考は発展性をもって深まっていくのだ。

(広中平『生きること学ぶこと』による)