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課題集 ザクロ2 の山

★かつて日本が貧しかった時代(感)/ 池新
 【1】かつて日本が貧しかった時代、日本人は――殊に青年は人生について社会について自分自身について本気で考えたものだった。なぜ働きたいのに仕事がないのか、なぜ働けど働けど貧しいのか、なぜ権力はこのように強大なのか、なぜ自分の命を戦場へ捨てに行くのか……。【2】どれも素朴なしかし切実な疑問だった。若者は社会の矛盾に気づき、闘うか妥協するか、全体のために生きるか、個人の幸福を優先させるかを迷い、考え、憤った。己れの無力卑小を嘆き、思うに委せぬ現実に切歯扼腕して苦しみ、そして考えた。
 【3】だが経済大国になった日本の社会は、自由と豊かさによって「考えない日本人」を作り出した。いかに生きるかについて考えなくても、「フツー」にしていれば生きていけるのである。【4】青年が考えるとしたら大学受験と就職を考えればよいのである。壮年が考えることはいかに社会の流れと妥協して得をするかということであり、老人はいかに老後を楽しみ、いかに安楽にうまく死ぬかということを考える。
 【5】男子大学生に向って「万一、日本が軍事攻撃を受けた場合、どうするか」というアンケートを取ったところ、「戦う」にマルをつけたのは100人中ただ一人で、あとの99人は「安全な場所を捜して逃げる」にマルをつけたという。【6】その話をした人は、若者から勇気や愛国心が欠如したことを嘆きたいようだったが、私は彼らはただ「何も考えない」だけなのだろうと思う。多分彼らは反射的に答を出しただけなのだ。彼らは考えない。すべてアドリブでことをすませてしまう。【7】考えるのは面倒だから考えないというよりも、考える習慣がなくなっているのにちがいない。
 「人間は一茎の葦のように弱いものだが、しかし人間は考えることを知っている」とパスカルはいった。「我々の品位は思考の中にのみ存在する。正しく考えるようにつとめよう」と。
 【8】だが今、人は考える葦ではなくなった。我々は宇宙に乗り出し、おそれを知らずにそれを利用しつつある。科学の力で命を産み出し、死さえ遠ざけることが出来ると思っている。「考える」ことを捨てたのだ。【9】私は貧乏な若者が好きである。若者の燃えおこるエネ∵ルギーと貧乏が、固く握ったゲンコツのようにがっちりと組み合さって不如意と闘う姿が好きである。【0】
 「本郷西片町より高台の方を仰ぎ見れば、並びなせる下宿屋の楼上楼下、無数の窓我に向いてもの言うが如く灯明らかにともされたり、此の多くの窓の中の何れかの窓より未来の偉人傑士いずる事ならんと思えば一層に懐かしき心地す、と同時に此の窓の中に有為の材を以て空しく一生朽ち果つべき運命を有するものもあらんかと思えば胸潰るるばかりなり」
 これは私の父の明治38年春の日記の一節である。並んでいる下宿屋の無数の窓に明々とともされた灯の下、貧しい学生たちが一心に書物を読んでいる姿を想像して胸を打たれた父の、その青年への想いが私の胸にも熱く伝わってくる。日本が貧しく矛盾に満ちていた時代、刻苦勉励という言葉が生きていた時代だ。
 貧しさ故に若者は考えた。鬱屈して考えるが故に広大な未来があった。可能性に満ちた洋々たる前途、夢があった。それが若者の貧しい青春に輝きを与えていた。今、豊かさのみを追って考えることをやめた我々にどんな未来があるのだろう。若者たちを含めた我々は何に向って生きようとしているのか、更なる豊かさと安住に向って?
 だがいったいそこにある希望とはどんなものなのだろう?

(佐藤愛子『われわれが「考える葦」でなくなったこと』より。一部改変。)