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課題集 ザクロ2 の山

★そもそも、食べることに(感)/ 池新
 【1】そもそも、食べることに強い関心を抱いたのには、遅飯コンプレックスばかりでなく、もう十年もイタリアと日本を行き来するような暮らしの中で感じてきたひとつの思いがある。スローフードという言葉が、私の中の曖味模糊とした思いに、あるくっきりとした輪郭を与えてくれた様な気がした。
 【2】たとえば、数百年も前の史跡と呼んで差し支えない石造りの家屋に人が今でも住んでいるフィレンツェのような都市では、新鮮な素材を納得のいく値段で買い、おいしいものを作ることはしごくたやすい。
 【3】肉は肉屋、生パスタなら製麺屋、野菜は八百屋、パンはパン屋とそれぞれ昔ながらの専門店ががんばっている。でなければ、大きな中央市場まで足を運べば、野菜や果物もそれは色とりどりそろっていて、チーズも塊で買えるし、無農薬野菜の店もある。
 【4】取材の合間に暇ができれば、料理に腕を奮い、そんな日にはかならず友を招く。週末や日曜の昼には、食事に招き、また招かれる。夕食時まで仕事に捧げる人は稀で、日本のようにノミニケーションなどといって職場の面々と飲みながら過ごすことは滅多にしない。【5】何はさておき家族で食事である。そんなことをしているからイタリア人男性は妻に管理されっぱなしだという人もいるが、それは当てにならない。彼らはよく外食も楽しむ。それにしたって、前菜に、パスタやリゾット、肉か魚のメインディッシュに野菜のつけあわせ、甘い物にカフェ。【6】人によってはチーズに食後酒までいただくものだから、ゆうに三時間はかかる。
 日本へ帰れば、そうは問屋が卸さない。
 まず友人たちを食事に招きたくとも、みんな何かと忙しい。招かれた途端に、帰りの電車の時間を心配しはじめ、腕時計を覗きこんでいたりする。
 【7】おそらく、日本というより東京といった方がいいのかもしれないが、町が肥大化し過ぎているのだろう。共稼ぎの友人はといえば、残業だらけでぐったりで、とてもではないが平日は夕食の買い物すらできないといって嘆く。【8】その働く女性、忙しい母親たち―∵―もちろん、父親だっていいわけだが――の暮らしの救世主のごとき面持ちで巷に溢れ返っているのが、レンジでチンするだけの冷凍食品、お湯に投げこむだけのレトルト食品お湯を注ぐだけのカップ麺、コンビニエンス・ストアのお弁当、デパートのお惣菜売り場に、よりどり見取りのファーストフード・チエーン店である。
 【9】ところが、それだけ急いで食べる時間まで節約しておきながら、誰もが「忙しい、時間がない」と口にしているのはどういうことなんだろう。家族が一日に一度さえ顔を合わせる時間もなければ、愛情の証だったはずの料理に手間暇をかける時間もない。【0】
 私たち日本人は、いったいいつから、ゆっくりと食事をすることもままならなくなってしまったのだろう。
 四割を越える子供たちのアトピー、若者にまで増えている骨粗鬆症や動脈硬化、サラリーマンの過労死、環境ホルモン、ダイオキシン、名前をもたない現代病……、すでに社会に深刻な黒い影を落としている現象の根っこに、狂った食生活があることに誰もが気づいているはずだ。
 この国は、これで大丈夫なのだろうか?
 私には、スローフードという言葉が、その暗澹たる思いに一条の光を投げ込んだかのように思えた。
 スローフード運動を推進する者たちは、単にファーストフード反対運動というような了見の狭いところに留まらない。スローフーダーの真の敵は、ファーストライフという名の世界的狂気であり、それは、もっと複雑な現代社会の機構の中に妖しくうごめくなにかなのだという。
 それはいったい何なんだろう?
 そんな疑問に腰を押されるようにして、九六年のある日、ふいに思い立った私は、ファーストライフ症候群の巣窟である日本の大都市を離れ、スローフード協会の本部があるという北イタリアの町へと旅立った。彼らの言い分に耳を傾け、イタリア人たちの食卓をゆっくり見つめ直してみたくなった。