昨日795 今日1875 合計158491
課題集 ザクロ2 の山

★カーニヴァルの期間中(感)/ 池新
 【1】カーニヴァルの期間中、街の中心へと出向くための手段もまた祝祭的で意識的なものとなる。すなわち人々は、バスや市街電車のなかで歌を歌い、踊り、サンバのリズムに身体を動かしながら目的地に向かう。【2】こうしたことが起こるのはカーニヴァルのために急に交通手段が改善されたからではもちろんなく、乗り物の内部空間までがカーニヴァルの空間へと変質したことによるものなのである。だから、バスや電車はもはや決められた時間に仕事場に着かねばならない労働者によって占められてはいない。【3】そこに乗っている人々が目的地に着かないかぎり、いかなる物事も始まらないのである。人々でぎゅうぎゅう詰めになった公共の交通機関による通勤という、都市の日常生活における地獄のような苦痛の時間が、カーニヴァルのあいだきわめて創造的な瞬間に変化する。【4】この瞬間人々は笑いや冗談や身体の接触を通じて、強烈な生感覚を味わうのである。
 カーニヴァルにおいては、場所の移動という行為自体が、高度に遊戯化され、儀礼化された別種のリアリティとして民衆によって生き直されていることを、こうした指摘は示している。【5】不毛で、苦痛だけが充満する日常的通勤行為が、いかに祝祭的な場に変容しているかを、右の描写は見事に伝える。(中略)∵
 ダ・マッタも指摘するように、ブラジルでは、カーニヴァルのあいだにいかなることが起きようと、それは「本気」(serio)ではなく、一種の「遊び」「冗談」であるという一般的な信仰のようなものがある。【6】しかしこの場合、それは冗談だから許される、とか、真面目でないから責任がない、といった、自己弁明的な理屈を保証するための留保ではない。むしろ逆に、ここで主張されているのは、真面目でないものこそが永続的な価値をもつ、という強固な民衆的信仰についてである。【7】ブラジルにおいて、規則と常識と事大主義によって支配された堅気な真面目さ=堅苦しさ(ポルトガル語のserioに対応する一語を見つけることは難しい)を代表するのは、政府機関、政党、学校、裁判所といった公共的な組織から、【8】会社、銀行、さらには教会や社交クラブといった組織にいたるあらゆる中産階級的な法人組織であり、それらは一種の永続性のイデオロギーを所有しているものの、現実には社会のなかでつねに改変や整理の対象とされ、驚くほど頻繁に現われては消えるという動きを繰り返してきた。【9】役所や企業の標榜する永遠性へのオプセッションは、かなわぬ理念にすぎないことを民衆はすでに悟ってしまっている。これと対照的なのが、貧しく、地味であっても決して廃れることも宗旨替えすることもなく、昔ながらの熱気とともに存続してきたカーニヴァルの地域集団なのである。【0】永遠性のイデオロギーを戴くかにみえる制度的な法人組織が、じつははかない命しか持たず、逆説的にも、まったく自発的に生まれ組織を欠いたカーニヴァル集団と祝祭の方が、結局は日々生きる民衆の永続性への希求をまっすぐに受けとめることができる…。このパラドックスのなかの真実に目覚めることによって、ブラジルには、真面目でないもの、中産階級に属さないものはすべて生き残る、という強固な信仰が生まれることになったのである。