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課題集 グミ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎草 / 池新

★戦後教育システムは / 池新
 戦後教育システムは、生徒に希望を与えるシステムとして大変よく機能した。それは、
 (1)能力に合った職に送り出す機能を果たし、生徒に将来の見通しと安心を与えた。つまり、これくらいの学力があればこれくらいの学校を出て、これくらいの職に就ける(女性は、これくらいの人と出会え、これくらいの生活ができる)という期待ができた。
 (2)過大な期待を諦めさせる機能を果たした。特定のパイプラインに乗れなければ、特定の職に就くことを諦めるしかなく、パイプを流れる過程で、徐々に諦めがついた(いくら医者になりたくても、医学部に入る学力がなければ諦めるしかない)。
 (3)階層上昇の機能(世代内上昇+世代間上昇)を果たした。少しでも頑張って勉強すれば、上の学校に行けて、よりよい生活が送れるという期待がもてた。そして、親よりもよい学校に行けば、父親以上の職に就ける(女性の場合は、そのような相手と結婚できる)という期待がもてた。
 一九九〇年代後半、経済社会構造の大きな転換が起こったと考えられている。それは、物を作って売るという工業が主要な産業であった時代から、情報やサービス、知識、文化などを売ることが経済の主流になる時代への変化である。これを、クリントン政権の労働長官だった経済学者のロバート・ライシュにならって、ニューエコノミーと呼ぶことにしよう。
 グローバル化によってニューエコノミーの日本への浸透が本格化すると、職業世界が不安定化する。これが、教育システムに波及した結果生じたのが、学力低下を含む教育システムの危機だと私は分析している。
 ニューエコノミーでは、物作り主体のオールドエコノミーとは違って、商品やシステムのコピーが容易である。そこで生じるのが、コピーのもとを作る人と、コピーをする人+コピーを配る人への分化、マニュアルを作る人と、マニュアル通りに働く人への分化なのである。それは、将来が約束された中核的、専門的労働者と熟練が不要な使い捨て単純労働者へ、職業を分化させる。そして、∵グローバル化による競争激化や金融危機がその傾向を加速させる。そして、その影響はまず、若者を直撃する。
 企業は、若者を選別して、能力のあるものは中核社員、専門的社員として優遇、それ以外は、派遣、アルバイトなど保障のない労働者で置き換えようとする。その結果、非正規雇用者が大量発生する。それが、日本では、フリーターの増大として表れるのだ。
 一方で、旧来型の産業・職は、徐々に衰退局面に入る。工場はアジアに移転し、メーカーは工員を大量に採用しなくなる。IT化は、営業や事務、販売職の(熟練を前提とした)正社員を不要にする。
 しかし、日本では、職に応じて学校数が調節されるわけでもなく、教育機関としての学校は残り続けた。(中略)
 工業高校を出ても正社員工員になれない人、女子短大を出ても企業一般職になれない人、文系大学を出ても上場企業ホワイトカラーになれない人、そして、大学院で博士号をとっても、大学専任教員になれない人が溢れ出す。それが、さまざまなレベルでのフリーターの出現となって表れる。彼らは、学校が想定する職に就くという「ささやかな夢」さえも叶えられなくなっている。
 そして、重要なのは、パイプがなくなったわけではないことである。大卒だからといってホワイトカラーになれないということは、大学に行かなくてもいいことを意味しない。大学に行かなければホワイトカラーになることはもっと難しいということである。
 その結果、パイプから漏れた人は、「勉強」という努力が無駄になる体験を強いられることになる。別の職に転進したり、また別の学校に入り直したらと言えればいいが、それは、今までしてきた努力が無駄になることを自ら認めることになる。親は、自分の子どもの教育にかけてきたお金とエネルギーが無駄になることに、心理的に耐えられない。

(山田昌弘「希望格差社会とやる気の喪失」より。一部を改める)