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課題集 グミ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎坂 / 池新
○国際社会と日本、教育と選別 / 池新
★日本の理想の上役像は / 池新
 日本の理想の上役像は次のようなアンケートに明らかだ。二人の課長がいる。上役としての実務能力も充分なことは二人とも一緒。ところでA課長の方は無理な仕事もいいつけない。無理な怒り方もしない。考課査定も公平だ。だが公務を離れて部下の面倒を見てくれない。
 B課長は無理な仕事もさせる。怒るのも無茶なときがある。査定はだいたい公平だが、ときとして感情が入る。しかし部下の面倒は仕事関係を離れてもよく見てくれる。どちらの上役のもとで働きがいがあるか。そういう問いを出す。
 日本では八十パーセントがBを選ぶ。Aを選ぶのは十パーセント前後である。知識人でも七十対十五ぐらい。アメリカは正反対である(林知己夫『日本人の国民性』)。これは戦前戦後を通じ、共通した日本人の特性だ――もっともアメリカでもだんだん日本的になって来ているそうだが。――
 では部下のことを思っている上役とは、具体的にどういう人のことか。たとえば、部下を出張に出す、大事な契約である。午後八時までに成功したならば報告を入れよ、不成功ないしは努力中ならば報告するなと約しておいたとする。さて電話がなかった。そのときに、これがアメリカであったら、仕事の契約がうまく行かなかったということだけを考えればよい。そしてすぐそれに対応した処置をすることで上役の仕事は果たされる。
 ところが日本の場合は、職務上の処置をすると同時に、あの男は気が強いように見えるが、実は弱気で酒飲みで寂しがりやだ。だめだったとなるとヤケになり、バーへ行くにきまっている。そういうとき、とりわけあいつは女にもてない。今ごろは殴られるか、大阪なら道頓堀へでもはまっているのではないだろうか、というようなまったく会社と関係のない、個人への思いやりがきわめて自然に頭に浮かんでこないかぎり、日本では上役としてうまくいかない。部下を把握できないのだ。部下は、上役というものは職務上の上役で、仕事がよくできるということだけで上役像を描いているのではなくて、自分のこと、俺のことを知ってくれるという形で上役像を描いているのである。∵
 ある調査で、社員の行くバーへ盗聴器をしかけ、上役の悪口を全部集め社員意識というものを考えようとしたことがあった。純粋に学問的な試みだったのだが、プライバシーを害するというわけで途中で廃止された。それによるとおもしろいことに、どこでも、いつでも平社員は集まるとみな上役の悪口をいっている。
 はじめの間は、その悪口は充分に具体的なのだが、酔っぱらってくるとみな同じ文句になってしまう。それは上役は「俺という人間がちっともわかっていない」という文句である。それは今度の自分のやった仕事を認めてくれるとか認めてくれないというのではない。俺という者がわからないという駄々っ子的不平なのである。つまり、部下は人間味のある付き合いを求めている。それが可能な上役には全幅の信頼をよせる。
 この人間的に裏打ちされている人間関係こそが、日本の会社のタテの関係のおそろしい強味であろう。(中略)
 そこから公私混同もよろしいという変な結論さえ引き出せるのである。わたしは友人とともにある会社を視察に来た外人と、夜中の十一時ごろ、バーへいったことがある。そこで、ある電子顕微鏡を作る会社の社員が喧々囂々と議論していた。十二時になっても終らない。そこでその外人が驚いて、いったいどこの会社の社員で、なにをやっているのだ、と聞く。こちらも悪口はいえないから、あれは会社の話で、今度売り出した電子顕微鏡の販売法の検討反省会をやっているのだといってみた。まあ当たらずといえども遠からずであろう。彼は、日本の会社は偉い、超過勤務手当も払わずに、十二時まで人を使っている、とふしぎな感想をもらし、これだから日本の会社はこわいのだと感嘆した。
 たしかに向こうでいえば、仕事は勤務時間内しかやらない。勤務時間がすぎたとたん、自由な私的個人となる。それをこえて働くのは管理職だけである。日本は、八時間の労働の間はアメリカみたいに締めつけられないが、二十四時間中、会社員たることから逃れられない。それが可能なためには、終身雇用や年功序列にもよるが、公私混同が許されているという条件も大きく働いているのだ。
(会田雄次『日本人の意識構造』)