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課題集 ギンナン3 の山

○自由な題名 / 池新
○読書 / 池新
○専門と教養、計画と自由 / 池新
○しかしマキャベリの / 池新
 しかしマキャベリの二重倫理のあまりにも直截な提示は、当時のヨーロッパ人にとっても衝撃であり、そのまま受けとめるには過酷すぎるものであった。そこでマキャベリ以降の政治思想のかなりの部分が、その政治倫理の二重性をいかに緩和するかという点に関心を寄せたのである。そこでよく用いられたのはローマ帝国に源流をもつさまざまな概念装置を忍び込ませることであった。
 このことの説明を進める前に、ギリシャとローマとは、古代都市国家としての共通性をもちつつも、両者の間に大きな違いも存していたことを説明しておく必要があろう。ギリシャのポリスは、何よりもそのきわめて強い精神的統一に特徴があった。アリストテレスの有名な「人間はポリス的動物である」という言葉は、まさにその表現であった。この言葉は、ポリスの運営に進んで参加して初めて人間は人間たりうるということを意味していた。それ以外の人間は野蛮人であり、本質的には動物と異ならない存在とすら見なされたのである。その意味でポリスの理想は、政治への参与、特に言論によって参与し、共同体のために戦う義務を引き受けることこそ人間の真の自己実現の場であると捉えられていたのである。
 これに対して、ローマの都市国家(civitas)は、人間の自己実現としての政治への参与という観念をギリシャほど絶対視していなかった。ローマでは、すぐれた統治を行うこと、つまり技術としての政治への関心が早くからもたれていたようである。その中核は「インペリウム(imperium)」という概念であった。それは最初、軍隊に対する命令権を意味していたが、やがて統治権であるとか、統治の及ぶ領域であるとかを指すようになり、ついには支配圏の及ぶ範囲としての「帝国」を意味するようになった。ローマの共和政は、その構成員が兵役の義務をもつという点ではギリシャのポリスと同じく「戦士共同体」ではあったが、しかしインペリウムを誰かに委ねること、またそれを委ねるにあたって複数の権力を相互に張り合わせる「混合政体」の仕組みをもったこと∵によって、ギリシャのポリスとは異なる特質を獲得した。インペリウムの概念はギリシャ世界では受け入れられなかった概念であり、その実践的な柔軟性にこそ意味があった。それこそが、ギリシャ都市国家が比較的短期間に衰えたのに対し、ローマを地中海の覇者に押し上げ、その支配を長期にわたらせた、いわば「支配の天才」としてのローマの本質であった。この概念によって、ローマは都市国家としての性質を残しながら、かなりの開放性、柔軟性をもつことができ、やがて都市国家から帝政へと変質していくことすら可能になったのだった。
 ギリシャのポリスでは公的空間への参加を意味する徳(virtue)の重要性が圧倒的に高かったのに対し、ローマでは市民の私的世界での自由(libertas)にもある程度の価値を認めていた。ギリシャにおいては人間は公的世界においてのみ真の人間でありえたが、ローマにあっては、公的なものが優先されはしたが、私的世界も一定の意義を与えられた。ギリシャでは公的空間としてのポリスしかなかったのに対して、ローマでは、社会と国家の区別が認められていたのである。
 近代ヨーロッパの政治理論家たちは、ギリシャの政治哲学に刺戟を受けながらも、その概念、思考法は常にローマ的なるものに引き寄せられていった。そしてローマ的思考法こそが、中世の普遍的権威を否定した上で成立する自己完結的な政治体同士の間に、最低限の秩序をもたらすことを許したのである。それはローマが得意とした「法」や、ギリシャからローマ世界が引き継いだストア哲学の基本概念である「理性」とか「自然」といった概念によって表現された。そこに、「国際政治」なき時代の「国際政治」、言い換えれば、「国際政治」の「原型」とも言うべき独特の秩序空間が成立したのである。

(中西寛『国際政治とは何か』)

○■ / 池新